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[[文化 (元号)|文化]]・[[文政]]頃に活躍した地唄三味線の名手で、[[京流手事物]]の名曲をいくつか残した。作風は同時代の作曲家の中でも風格の高さで群を抜き、高踏的。型破りで非常に長大な曲が多く、ことに器楽部である「手事」が長く複雑で、かつ難技巧を極める。歌の節付けも凝っている。
 
作品の一つ『 [[八重衣]]』は、あまりにも難しく石川本人にすら弾けないほどであったため、[[検校]]たちの支持を得られず廃曲になりかけた。だが、九州の宮原検校がそれを惜しみ、箏の手付けの第一人者[[八重崎検校]]にたき付けて見事な箏の手を付けさせた。そのお陰で廃絶の危機を脱し、以後合奏曲として広く演奏されるようになったという。
 
既存曲の替手作りも得意で、いくつか現代にも伝えられ愛奏される。『[[玉川]]』の替手は特に名作として名高い。[[能]]や[[百人一首]]に取材した大曲の高度な格調といい、かなり由緒ある出身ではないかと想像され、また大変な三味線の名手でもあったものの、才能を疎まれ、弟子も少なく、生涯を通じて貧しく不遇な生活であったという。京都千本上長者町を東に入った路地奥に住んでいた。