「ケネディ大統領暗殺事件」の版間の差分

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=== ジョンソン副大統領の昇格とワシントンへの帰途 ===
[[ファイル:Lyndon B. Johnson taking the oath of office, November 1963.jpg|thumb|left|250px|ケネディが暗殺された直後[[エアフォースワン]]内で第36代大統領の就任宣誓を行う副大統領リンドン・ジョンソン]]
{{main|1963年リンドン・ジョンソン大統領就任式}}
[[リンドン・ジョンソン|リンドン・B・ジョンソン]][[副大統領]]はケネディが乗ったリムジンの2台後の車に乗っていたが難を逃れ、パークランド記念病院で大統領の死に接して、シークレットサービスの警護を受けながら急遽ラブ・フィールド空港のエアフォース・ワンに向かった。この病院を出た時と同時にCBSの[[ウォルター・クロンカイト]]がケネディ死去の公式発表をテレビで伝えたが、クロンカイトが涙ぐんだ後に「ジョンソン副大統領はすでにダラスの病院を離れ、どこに向かったかは分からないとのことです。おそらく速やかに就任宣誓を行い、第36代合衆国大統領に就任する予定です」と語った。
 
そして副大統領はエアフォース・ワンに到着して、機内に入ってすぐに大統領専用電話を使って、アイゼンハワーとトルーマンの両元大統領に事態の説明をして全面的協力を求めた。そしてワシントンにいる閣僚4名<ref group="注釈">4名以外の閣僚はこの時に、日米貿易経済合同委員会に出席するため、飛行機で東京に向かっていた。</ref> と大統領補佐官らに職場を離れないことを伝えた<ref group="注釈">この時にジョンソンは後にこう回想している。「私の脳裏を走ったのは次は誰を撃つだろうか、ということだ。そしてワシントンで何が起こるか。ミサイルは飛んでくるのか。私は陰謀だと思った。」「CIA秘録」上巻 317P ティム・ワーナー著 文藝春秋 2008年11月発行</ref>。そしてジャクリーン夫人らが遺体とともに戻ってきた後に機内でアメリカ合衆国大統領の就任宣誓を行い、第36代大統領に昇格した<ref group="注釈">エアフォース・ワンの運用責任者であったマクヒュー空軍准将(Godfrey T. McHugh)によると、リンドン・B・ジョンソンは就任宣誓の前に機内のトイレで「殺される。これは[[陰謀]]だ。みんなやられる (They're going to get us all. It's a plot. It's a plot. It's going to get us all.)」と喚いていた(共同通信 2009年11月03日、Steven Gillon ''The Kennedy Assassination 24 Hours After: Lyndon B. Johnson's Pivotal First Day as President'')。また、ロバート・ケネディにジョンソン自身が電話で相談し、宣誓式は即刻、ダラスで行えとのアドバイスを受けたという主張があるが、ケネディサイドのスタッフはこれを否定している。</ref><ref group="注釈">大統領が死亡、辞職、不能力者になった場合や議会で弾劾が決議した場合は副大統領が昇格することが憲法に規定されており、1961年8月にケネディとで「大統領職の継承に関する取り決め」を交わしており、ケネディが意識不明になった時点で「大統領代行」を自ら宣言することは可能であり、死亡した時点で自動的に昇格している。したがって宣誓式を行わなくても大統領はすでにケネディからジョンソンに受け継がれている。</ref>。この後に機内からハイアニスポートに電話してジョンソンとレディバード夫人から大統領の母ローズにお悔やみが伝えられた<ref>「ブッシュ家とケネディ家」80P 越智道雄著 朝日新聞社 2003年8月発行</ref>。
 
ジョンソンとジャクリーン夫人らを乗せたエアフォース・ワン<ref group="注釈">副大統領はエアフォース・ツーという専用機があり、ダラスに来た時も副大統領専用機に乗ってきたが、大統領死亡という緊急事態で新大統領となったことで、ケネディが搭乗してきた大統領専用機に急遽搭乗することとなった。</ref> は、ジョンソンの大統領就任宣誓が終わった後にダラスを飛び立ち、史上初めて2人の大統領を乗せて[[ワシントンD.C.]]郊外の[[アンドルーズ空軍基地]]に着陸した。ケネディ大統領の遺体の入った棺は、空港の荷物搬送機で降ろされ、海軍所有の[[救急車]]に搬入された。ジャクリーンと迎えに来てすぐに機内に入ったロバート・ケネディらもケネディの棺とともに同じ搬送機で降りて救急車に乗り、そのまま[[ベセスダ海軍病院]]へ向かった。