「南満洲鉄道パシナ型蒸気機関車」の版間の差分
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| 運用者 = 南満州鉄道(満鉄)
| 設計者 =
| 製造所 =満鉄沙河口工場(970~972)
[[川崎車輛]](973~981)
| 製造番号 =
| 種車 = <!-- 改造車・編入車・譲受車向け -->
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== 開発の背景 ==
{{節スタブ|date=2020年5月12日 (火) 13:46 (UTC)}}
1933年(昭和8年)8月、満鉄では大連 - 新京間を結ぶ新たな特急列車(「あじあ」)の開発が決定された。この特急列車は当時の満鉄の最優等列車「はと」を上回る高速運転を行うこととされ、その牽引を行う大出力・高速の機関車として開発されたのがパシナ型蒸気機関車である。
== 構造 ==
パシナの設計にあたっては急行列車の牽引機として運用されていたパシコをベースとしている。パシコを超える高速性能を得るため、動輪の直径はパシコの1,850 mmから2,000 mmに拡大されたほか、ボイラー圧力は
[[デュポン]]式BKM型[[自動給炭機]]と多弁式加減弁装置、主連棒などの[[軸受]]にフローティングブッシュ、自動動輪軸軸箱楔アリゲーター式クロスヘッド。炭水車の台車にはスウェーデン[[SKF]]社製[[転がり軸受|コロ軸受]]を採用した。主台枠は棒台枠、後台枠は一体[[鋳鋼]]製クレードル式、従台車にはデルタ式を使用している。
大型のボイラーを搭載することによって設計[[活荷重|軸重]]が23
パシナを大きく特徴づける流線型のカバーについては[[川西航空機]]の風洞を用いて形状の検討がされたが、この結果は初期生産型の11両(970~980)には反映されず、1936年(昭和11年)に製造された最終生産型の1両(981)に反映された。981は流線型の傾斜を増してカバーが下部まで延長され、初期生産型では露出していた前部連結器をカバー内に収めた洗練された形状となり、「ヘルメット型」と呼ばれて人気を博した<ref name=":0" />。
[[File:Mantetsu-pashina981 (pashina12).png|thumb|最終生産型のパシナ(981)]]
== 製造 ==
パシナは1934年(昭和9年)に11両が製造された。970~972までの3両が満鉄沙河口工場で、973~980までの8両が[[川崎車輌]]での製造である。全てのパシナを自社で製造しなかったのは、運行開始までの期間が短く自社工場だけでは必要な数のパシナを調達できなかったためである。なお、979は川崎車輌で製造された1,500両目の機関車となった。
1936年(昭和11年)には12両目のパシナとなる981が川崎車輌で製造された。
== 運用==
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パシナは軸重が約24 tと重く、軌道の規格が高い[[満鉄連京線|連京線]](大連 - 新京間)でのみ走行可能だった。そのため[[哈大線|京浜線]](新京 - ハルビン間)には乗り入れることができず、新京 - ハルビン間の「あじあ」は[[南満州鉄道の車両#急行旅客用|パシシ]](後に[[南満州鉄道の車両#急行旅客用|パシロ]]に変更)が牽引した。
「あじあ」運休後もパシナは「はと」の牽引を続け、時には普通列車を牽引することもあった<ref name=":0">{{Cite book|和書|title=満鉄特急「あじあ」の誕生|year=2012|publisher=原書房|author=天野博之}}</ref>。
== 戦後 ==
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== 保存 ==
12両製造されたパシナ
== 鉄道模型 ==
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