「何無忌」の版間の差分

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義熙6年([[410年]])、[[広州 (広東省)|広州]]刺史の[[盧循]]が反乱を起こし、江州に進攻した。盧循の部将の徐道覆が戦艦で[[贛江|贛水]]を下って進軍してくると、無忌は水軍を発して迎え撃とうとした。長史の鄧潜之が決戦を諫めて、守城策を取るよう進言したが、無忌は聞き入れなかった。無忌の乗った小艦は、急な西風に煽られて東岸に打ち寄せられ、そこに反乱軍の大艦が迫ったため、大敗した。無忌は節を握ったまま死んだ。死後、[[侍中]]・[[司空]]の位を追贈された。[[諡]]は忠粛といった。
 
子の何が後を嗣いだ。
 
== 伝記資料 ==
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