「ヒトの脳」の版間の差分

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→‎前史: 中国
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[[紀元前4世紀]]から[[紀元前3世紀|3世紀]]にかけての[[カルケドン]]で、[[ヘロフィロス]]は大脳と小脳を区別し、脳室を初めて明確に記録した。また[[ケア島]]の[[エラシストラトス]]と共に生きた脳を使った実験をした。彼らの著作は現在ではほとんど失われ、その業績は主に二次的な資料によって知られる。彼らの発見のいくつかは、彼らの死から1千年経ってようやく再発見された<ref name="Adelman"/>。[[ローマ帝国]]時代、[[2世紀|紀元2世紀]]の解剖医[[ガレノス]]は、[[ヒツジ]]、[[サル]]、[[イヌ]]、[[ブタ]]の脳を解剖した。そして、小脳は大脳に比べて質感が濃密なため筋肉を制御し、大脳は軟らかいため感覚を処理しているに違いないと結論付けた。さらに彼は、脳は脳室を通じた魂の活動によって機能すると理論づけた<ref name="Adelman"/><ref name=Bear/>。
 
[[中国]]では、脳は精神の座ではなく[[精力]]の源であり、心臓や[[五臓六腑|五臓]]が精神の座とする説が伝統的だった<ref name=":2">{{Citation|和書|title=中国医学の誕生|year=1987|last=加納|first=喜光|publisher=東京大学出版会|isbn=978-4130130325|author-link=加納喜光}}192-229頁。</ref>。しかし[[17世紀]]以降、[[イエズス会]]宣教師を通じてガレノス医学に接した[[李珍和|李時珍]]や[[方以智]]、[[ムスリム]]の[[劉智]]、解剖医の[[王清任]]らが、脳説に近い立場をとるようになった<ref name=":2" />。
 
=== ルネッサンス ===