「大谷泰重」の版間の差分

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== 生涯 ==
大谷吉継の三男といわれるが、『[[華頂要略]]』では[[鳥居小路経孝]]の子で青蓮院門跡防官大谷泰珍の養孫とされる。[[大谷吉継]]を泰珍の子とする説では、吉継の伯父[[大谷泰増]]の子とされる。
 
経歴はほとんど分かっていないが、[[寛永]]3年([[1626年]])に息子の大谷重政が越前福井藩に出仕したことから、1600年代初頭から1610年代にはすでに成年に達していたものと思われる。息子重政が越前藩に出仕した後の動向は定かでない。