「フランチェスコ・バルトロッツィ」の版間の差分

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[[フィレンツェ]]の金細工師の息子に生まれた。10歳になる前から絵の才能が知られ、10代の初めにフィレンツェの美術学校でジョヴァンニ・ドメニコ・フェレッティ(Giovanni Domenico Ferretti: 1692–1768) やイグナツィオ・ハグフォード(Ignazio Hugford: 1703–1778) に学んだ。
 
3年間フィレンツェで学んだ後、[[ヴェネツィア]]に移り版画を学び、1748年から1754年の間は、ヴェネツィアでドイツ出身の版画家で、版画出版工房を開いた、[[ヨーゼフ・ヴァグナー (版画家)|ヨーゼフ・ヴァグナー]](Joseph Wagner: 1706–1780)のもとで働いた後<ref>Ticozzi, p117.</ref>、自らの工房を開き、マルコ・リッチ(Marco Ricci: 1676–1730) や[[フランチェスコ・ツッカレリ]](1702-1788)の風景画を版画にして出版した。1756年から1760年の間は[[ローマ]]に移り、[[ドメニキーノ]]の壁画の作品などを版画にして出版した。
 
巨匠たちの作品をもとにした版画はイタリア国外でも注目されるようになり、1763年に、イギリス王、[[ジョージ3世 (イギリス王)|ジョージ3世]]の美術コレクションのための作品を購入すためにイタリアを旅していた、画商で版画家のリチャード・ダルトンと知り合い、イギリスに渡り、イギリス王室の版画家になることを勧められた。それを受け入れ1764年に[[ロンドン]]に移った。