「プロ野球再編問題 (2004年)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
編集の要約なし
8行目:
これを受け、日本プロ野球選手会・[[古田敦也]]選手会長は、経営陣との対話を求めようとするが、7月8日に渡邉が、[[朝日新聞]]・[[西村欣也]]編集委員の「明日、選手会と代表レベルの意見交換会があるんですけれども、古田選手会長が'''(球団)代表レベルだと話にならない'''んで、できれば、オーナー陣といずれ会いたいと(言っている)」との質問に対し「'''無礼なこと言うな。分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が'''」と発言した<ref name="takaga">[http://www.asahi.com/special/baseballteam/TKY200407080343.html asahi.com : ニュース特集 - 球団合併問題「『話をしたい』という古田に、渡辺オーナーが『無礼な』」] - 2004年7月8日21:55配信、2015年12月5日閲覧</ref>。これにより選手会とファンは、ますます合併推進派に対する反発を強め、問題は野球界のみならず政界・経済界・労働界までも巻き込むこととなった。
 
「'''第2の合併'''」こそ経緯のあやふやさもあって実現を見なかったものの、オリックスと近鉄との合併は周囲をほとんど無視する形で一方的に決定された。経営困難に陥った企業が同業他社との合併に救済を求めるのは特別な事ではないが、他社への身売りではなく合併を選んだことへの野球ファンの反発が大きかった(また、一球団当たりの保有選手数には上限があるため、他業種と異なり合併によって雇用を守る効果はなく、むしろ選手の雇用を守れるのは身売りのほうであった)。一方で、周囲がいくら反発しても経営の悪化が解決するわけではなく、企業努力として当然とする反論も出されたが、発表から1年も待たずに合併を推し進めようとしたことから、球団存続の危機感にあるファンの動向を見守る期間が十分に与えられるとは言えない事もあり企業努力に対しても疑問を持たれ、ファンの反発を抑えることはできなかった。選手会は「'''2リーグ12球団維持'''」を求め、翌{{by|2005年}}からの新規球団参入を求め、[[日本野球機構]](NPB)と数度の交渉を持ったものの、確固たる約束を得ることができず、選手会はついに[[9月18日]]・[[9月19日|19日]]の2日間にわたって'''日本プロ野球史上初の[[プロ野球ストライキ|ストライキ]]を決行'''した。その後行われた両者の交渉によって、新規参入の確約をはじめとした合意を得ることとなった。
 
'''[[#新規参入表明|新規参入]]'''にあっては、かねてから近鉄買収に名乗りを上げていたものの果たせなかった[[LDH (持株会社)|ライブドア]]と、ライブドア同様の[[情報技術|IT]]ベンチャーであり、ライブドアに続く二番手として名乗り出た[[楽天グループ|楽天]]とが競う形となり、「IT戦争」と大きな話題となった。当時の世論は『この問題の突破口を開く形を作った』『近鉄の救世主』等の理由からライブドアを支持する意見がほとんどだったものの、実際には健全な経営が行われていると見なされた{{efn|その後、ライブドアは2年後の2006年に[[ライブドア事件|証券取引法違反]]が発覚し、買収を名乗り出た[[堀江貴文]]を筆頭とした首脳陣が逮捕されることとなる。}}楽天が加入を認められた。楽天は、プロ野球界では1954年の[[高橋ユニオンズ]]以来50年となる新球団・[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]を設立した。
67行目:
9月24日、オリックスは合併後の球団名を「オリックス・バファローズ」、[[専用球場|メインの本拠地]]を[[大阪ドーム]](京セラドーム大阪)とすると正式に発表した。なお[[神戸総合運動公園野球場]](この当時は「Yahoo!BBスタジアム」、2005年より「スカイマークスタジアム」、現在は「ほっともっとフィールド神戸」)も準本拠地として使用し、全ホームゲームをほぼ半数ずつ割り当てることになった。球団事務所・合宿所は、いずれも当面は引き続き神戸市に設けることとした。
 
10月12日、新球団の監督には、4年ぶりの復帰となる元オリックス・ブルーウェーブ監督で近鉄バファローズの元優勝監督でもある[[仰木彬]]が就任した。69歳での監督就任は当時の史上最高齢だった。
 
=== 第2の合併 ===