「田邊誠」の版間の差分

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老人[[福祉]]事業に従事していた田邊熊蔵の長男として[[群馬県]][[前橋市]]に生まれる。旧制前橋中学(現在の[[群馬県立前橋高等学校]])卒業後、旧制高校への進学を希望していたが、父が経営する養老院の運営がおもわしくなく、やむなく学費無料の[[逓信官吏練習所]]に進学した。
 
練習所卒業後、[[前橋中央郵便局|前橋郵便局]]に勤務した。[[1943年]]に応召し兵役に就いたが、[[軍隊]]内では熱心な[[クリスチャン]]であることを理由にむごいいじめにあったという<ref>田辺誠著 船橋成幸・浜谷惇編『田辺誠の証言録-55年体制政治と社会党の光と影-』新生舎出版、2011年、160〜163ページ。</ref>。復員後、前橋郵便局に復職。上司にも堂々と意見する態度を買われて[[労働組合]]の指導者に推され、以後、[[日本郵政公社労働組合|全逓信労働組合]]群馬地区委員長、群馬地方労組評議会議長を歴任した。[[1955年]]、群馬県議会議員に当選。県議会ではダム建設にまつわる不正を追及して、当時の[[北野重雄]]知事を知事選への再出馬断念に追い込んでいる。[[第29回衆議院議員総選挙|1960年の総選挙]]で衆議院議員に初当選。[[第30回衆議院議員総選挙|1963年の総選挙]]では落選したが[[第31回衆議院議員総選挙|1967年の総選挙]]で復活し、以後引退まで連続当選を果たした。
 
== 社会党での活動 ==