「馬英九」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m Category:馬英九を追加 (HotCat使用)
64行目:
=== 台北市長・国民党主席 ===
[[File:2006INGTaipeiMarathon-077.jpg|240px|thumb|第10回台北国際マラソンでの馬英九(2006年12月17日)]]
[[1998年]]の台北市長選に国民党公認候補として出馬。多くの票を獲得して当時の現職・[[陳水扁]]([[民主進歩党]]公認・前総統)を破り当選した。[[2002年]]に再選され、[[2006年]]12月の任期満了まで同職に留まった。台北市長時代は台北市全域の[[無線LAN]]の整備、下水道整備の普及、スポーツ施設整備などのインフラ整備に力を注いだ。また、[[士林官邸]]、[[七海官邸]]、[[孫運璿]]旧邸、[[李国鼎]]旧邸、[[厳家淦|嚴家淦]]旧邸、[[銭穆|錢穆]]旧邸などの文化財保護事業に力を注いだ。また国民党主席の連戦が辞任を表明すると、党内の高い期待を背景に[[2005年]][[7月16日]]に行われた国民党主席選挙に出馬(二回目の党員による直接選挙だが、対立候補が出たのは初めてであった)して、37万5056票を獲得、対抗馬の[[王金平]][[立法院 (中華民国)|立法院長]](14万3268票を獲得)に大差をつけて第4代国民党主席に選出された。
 
党主席兼任後2005年末の23県市長選挙では国民党が14、親国民党系も含めると17ポストを獲得するなど地滑り的な勝利を得た。国民党内では若手政治家の筆頭となった馬英九を次期総統選挙で候補に立てる意見が高まったが、出馬意思を表明した[[2007年]][[2月13日]]に台北市長時代の首長特別支出費の一部支出について横領容疑で起訴される事件が発生した。これを受けて馬英九は党への影響を避ける為に国民党主席を辞任したが、裁判については争う姿勢を示した。一審の台北地裁(同年[[8月17日]])では無罪判決が下され、同年[[12月28日]]の二審(台湾高裁)でも無罪判決が下された。二審までの無罪判決を受け、馬英九は[[2008年]][[1月3日]]に起訴した検察官を不当な政治妨害を行ったとして告訴した。