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== 東アジア(日本以外)の宦官 ==
[[古代]][[中国]]に始まり、[[朝鮮]]や[[ベトナム]]等、おもに中国の勢力圏の[[東アジア]]に広まった。但し、[[日本]]は宦官文化に関しては東アジアの中では独特であるので下記のように別項を立てる。
 
=== 仕事 ===
本来の業務は、男子禁制の[[後宮]]の管理運営業務である。しかし後宮とは[[紫禁城]]の居住区である内城の全域であったので、紫禁城内に居住が許される「男性」は皇帝・皇子以外すべて宦官であり、その他の者は大臣宰相でも城外からの通勤であった。そして宦官の業務は下記のほか、宮廷の運営にかかわる一切であった。
 
* [[宮廷]]内の[[建物]]や[[什器]]の管理、[[清掃]]などの雑用(これが大部分であった<ref>三田村(1963)</ref>。)
* [[料理]]・[[宴会]]の担当。[[中華料理]]の進歩には宮廷料理、そして宦官のはたした役割は大きい。金のかかる部署であり、資金力のある大物宦官が担当した。
* [[後宮]]の警備・管理。[[皇帝]]と[[皇后]]、[[側室]]の[[性行為|性交]]の日時の記録([[皇位継承順位]]に関係するため、重大事であり、専門の部課が置かれた)。
* 諜報、情報収集、不穏な勢力の[[スパイ]]といった[[秘密警察]]業務。
* 皇帝の[[秘書]]業務。臣下との取次・連絡。
* 皇子の[[学問]]や行儀作法教育。
* 国家事業として、つまり皇帝が行う土木建築工事の管理。巨額の予算が動くため、私腹を肥やせる人気部署だった。
* [[兵器]]の製造。特に[[大砲]]など火器は皇帝直属で一般部隊は扱えず、戦時は宦官が砲兵部隊を率いた。
 
=== 供給源 ===
# 異民族の[[捕虜]]・異国からの供物
# 志願者(自宮者)
# [[宮刑]]を受けた者
 
=== 中国 ===
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中国では、[[1911年]]の[[辛亥革命]]により[[清]]王朝は滅亡したが、最後の皇帝である[[愛新覚羅溥儀|宣統帝溥儀]]は[[1912年]]の退位後も[[清室優待条件]]により[[紫禁城]]に居住し続け、太監(宦官)もこの条件によって新規採用者の募集を停止したのみであった。その後、[[1923年]]に溥儀は、家庭教師であったイギリス人[[レジナルド・ジョンストン]]などの影響を受け、宦官の腐敗への不満から宦官の多くを追放しようと試み、宦官を100人程度にまで減らした。しかし、溥儀の食事の準備ができなくなるなど逆に宮廷の運営が滞ってしまい、結局、1ヶ月足らずで宦官の追放を撤回することを余儀なくされた。その翌年、[[1924年]]の[[馮玉祥]]のクーデターで宣統帝とともに宦官も紫禁城から追放され、その歴史の幕を閉じることとなった。このとき追放されたのは、宦官2000人と女官200人と伝えられる。
 
=== 仕事 ===
本来の業務は、男子禁制の[[後宮]]の管理運営業務である。しかし後宮とは[[紫禁城]]の居住区である内城の全域であったので、紫禁城内に居住が許される「男性」は皇帝・皇子以外すべて宦官であり、その他の者は大臣宰相でも城外からの通勤であった。そして宦官の業務は下記のほか、宮廷の運営にかかわる一切であった。
 
* [[宮廷]]内の[[建物]]や[[什器]]の管理、[[清掃]]などの雑用(これが大部分であった<ref>三田村(1963)</ref>。)
* [[料理]]・[[宴会]]の担当。[[中華料理]]の進歩には宮廷料理、そして宦官のはたした役割は大きい。金のかかる部署であり、資金力のある大物宦官が担当した。
* [[後宮]]の警備・管理。[[皇帝]]と[[皇后]]、[[側室]]の[[性行為|性交]]の日時の記録([[皇位継承順位]]に関係するため、重大事であり、専門の部課が置かれた)。
* 諜報、情報収集、不穏な勢力の[[スパイ]]といった[[秘密警察]]業務。
* 皇帝の[[秘書]]業務。臣下との取次・連絡。
* 皇子の[[学問]]や行儀作法教育。
* 国家事業として、つまり皇帝が行う土木建築工事の管理。巨額の予算が動くため、私腹を肥やせる人気部署だった。
* [[兵器]]の製造。特に[[大砲]]など火器は皇帝直属で一般部隊は扱えず、戦時は宦官が砲兵部隊を率いた。
 
=== 供給源 ===
# 異民族の[[捕虜]]・異国からの供物
# 志願者(自宮者)
# [[宮刑]]を受けた者
 
==== 著名な中国の宦官 ====