「利用者:ゆりのき橋/試作品製作所」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
47行目:
* [[耳川 (福井県)]] - [[福井県]][[三方郡]][[美浜町 (福井県)|美浜町]]を流れる本流の[[二級河川]]。
* [[耳川 (宮崎県)]] - [[宮崎県]]中北部を流れる本流の二級河川。
 
= [[丸山川]] =
 
== 治水 ==
現在の館山市及び南房総市にまたがる安房中央地区は、[[平久里川]]水系及び本水系の流域に農地が広がっている。[[房総半島]]特有の事情として大河川から遠く、周囲は標高の低い丘陵地帯であることから河川流域が狭く、日照りが続けば農業用水が枯渇し旱魃に悩まされることが常であった。1950年代には戦後の食糧増産の流れに合わせて、安定的な農業用水確保のため有志によるダム建設の機運が高まった。本事業は水源を本河川の丸山町大井地区に求め県営丸山ダム(のち安房中央ダム)として採択され、[[1958年]](昭和33年)5月に安房中央土地改良区が館山市にて発足した。農業用水目的のダムで受益面積は全体で1,144.5ha、うち館山市内が821haである<ref>[https://www.city.tateyama.chiba.jp/gikai/page100077.html 第3回館山市議会定例会会議録(第1号・1970年9月21日)]</ref>。
 
以降数年間は測量や実施設計、仮排水路や道路付け替え工事等が実施され、76,583㎡を用地として買収。[[1964年]](昭和39年)度よりダム築堤が着工となった<ref>[https://www.city.tateyama.chiba.jp/gikai/page100078.html 第3回館山市議会定例会会議録(第1号・1969年9月26日)]</ref>。ダム本体の工事は[[1970年]](昭和45年)度に完了し[[1971年]](昭和46年)秋より貯水開始となり、[[1972年]](昭和47年)12月に満水式を迎えた<ref>[https://www.city.tateyama.chiba.jp/gikai/page100074.html 第3回館山市議会定例会会議録(第1号・1973年8月24日)]</ref>。一方で受益地へ早期配水するための幹線用水路工事には[[1969年]](昭和44年)度より着手し、総延長27,700mを[[1973年]](昭和48年)度までに整備する計画であった<ref>[https://www.city.tateyama.chiba.jp/gikai/page100076.html 第3回館山市議会定例会会議録(第1号・1971年9月17日)]</ref>。しかしながら基盤整備を含めた事業完了は実際には[[1976年]](昭和51年)まで遅れることとなった。土地改良事業の発足当初は10年計画として推進されたが、以下の理由によって遅れたとされている<ref>[https://www.city.tateyama.chiba.jp/gikai/page100073.html 第3回館山市議会定例会会議録(第2号・1974年9月19日)]</ref>。
* ダムの予定地域内の住民の反対が強く、用地取得に長期間を要した。
* 地域内にあった県道や農林道の付け替え工事に難航し、計画通り進捗しなかった。
* 用水路工事において実際の地質が悪かったことから中途変更を行い、掘削トンネルにコンクリートで巻き立てを行う等の手間が生じた。
* 国が事業費の半分を補助するところ、一時的に大規模助成が困難となっていた。
 
== 支流 ==
''上流より記載''
* 五反目川
* ○○川
* 塩井戸川
* 畑川
 
== 主な橋 ==
''上流より記載''
* ○○橋
* ○○橋
* ○○橋
* 嶺岡橋 - [[国道410号]]
* 茂沢橋 - [[千葉県道89号鴨川富山線]]
* ○○橋
* ○○橋
* 新大井橋 - 国道410号
* ○○橋
* 大井大橋 - 国道410号
* 新川崎橋 - 国道410号
* ○○橋(安房中央ダム)
* ○○橋
* 御子神橋 - 国道410号
* 鯨岡橋 - 国道410号
* ○○橋
* ○○橋
* 珠原橋
* ○○橋 - 国道410号
* ○○橋
* ○○橋
* 三山橋
* 丸川橋
* ○○橋 - 千葉県道296号
* 迎田橋
* 丸山中央橋 - 国道410号([[安馬谷バイパス]])
* 新田橋
* ○○橋
* 古川上橋
* 古川橋
* 朝夷橋 - [[国道128号]]
* JR[[内房線]]橋梁
* 川島橋
* 丸山大橋 - [[千葉県道297号和田丸山線]]
 
= [[汐入川 (千葉県)]] =
79 ⟶ 134行目:
[[高度経済成長]]期において水道需要が拡大する中、館山市では水源不足の抜本的解消に対応するダムの建設、及び資金面・運用面でそれを実現するための市内に散在する簡易水道事業の広域化が喫緊の課題となっていた。うち中南部を給水区域としていた宮城・南条・西岬の各簡易水道における水道需要を満たすこと、特に宮城水道区に立地する[[海上自衛隊]][[館山航空基地]]関連の水不足解消を目的として、防衛施設周辺民生安定整備事業に位置付け[[防衛施設庁]]の補助を6割得て作名川水源にダムを建設する運びとなった<ref>[https://www.city.tateyama.chiba.jp/gikai/page100075.html 第1回館山市議会定例会会議録(第5号・1972年3月10日)]</ref>。ほか、水道水源開発整備事業として国の補助も一部得ている。
 
事業は[[1971年]](昭和46年)より着手し、[[1973年]](昭和48年)まで基本設計業務を実施。防衛庁の要求水準は貯水量30万トンとしており、設計調査では38万トンのダムを同地へ建設可能との結果を得た。一方で館山市としてはこの規模でも当時の需要を十分に満たせたものの、将来的な水需要の更なる増大に対応するため50 - 60万トン程度まで拡大して整備したい意向があったため、追加調査を実施。その結果地質の良さから3m程度の嵩上げにより計画貯水量38万トンから63万トンへ、有効貯水量34万トンから59万トンへの拡大を実現した<ref>[https://www.city.tateyama.chiba.jp/gikai/page100073.html 第1回館山市議会定例会会議録(第7号・1974年3月12日)]</ref>。用地買収は1973年(昭和48年)度に実施され、資材搬入経路4,260㎡及びダム用地66,000㎡を収用<ref>[https://www.city.tateyama.chiba.jp/gikai/page100074.html 第1回館山市議会定例会会議録(第2号・1973年3月2日)]</ref>。ダム本体の工事は[[1974年]](昭和49年)度より三か年事業にて実施され、予定通り[[1976年]](昭和52年)度に竣工し試験湛水を開始。ダム直下の作名浄水場及び配水池の整備が並行して進められ、[[1977年]](昭和53年)3月に完成した<ref>[https://www.city.tateyama.chiba.jp/gikai/page100071.html 第4回館山市議会定例会会議録(第1号・1976年12月10日)]</ref>。一方で継ぎ足しを続けてきた配水管設備がダムの給水容量に対応できず抜本的な再整備が必要といった課題はあったものの、配水管工事の進捗により同年7月には一部給水が開始され、[[1978年]](昭和54年)4月の全面給水により拡張事業は完了した<ref>[https://www.city.tateyama.chiba.jp/gikai/page100070.html 第1回館山市議会定例会会議録(第2号・1977年3月5日)]</ref>。
 
事業開始にあたって、宮城・南条・西岬の各簡易水道事業は1973年(昭和48年)に統合し館山市水道事業として発足した。工事期間中には水道需要に供給能力がいよいよ追い付かなくなり急場の枯渇対応に追われる事態となったが、本ダムの整備に伴って従前は隣接する[[三芳村 (千葉県)|三芳村]]の三芳水道企業団より供給不足分を購入していたところを自給できるまでに至った。なお館山市水道事業は広域化を続け[[1998年]](平成10年)[[3月27日]]に三芳水道企業団へ吸収されたことから、本ダムは現在三芳水道企業団の管轄下にある<ref>[https://miyoshisuido.jp/%e4%bc%81%e6%a5%ad%e5%9b%a3%e3%81%ae%e7%b4%b9%e4%bb%8b/%e4%bc%81%e6%a5%ad%e5%9b%a3%e3%81%ae%e6%b2%bf%e9%9d%a9/ 企業団の沿革(三芳水道企業団)]</ref>。