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2021年8月10日 (火) 14:33時点における版
森山館(もりやまだて)は、青森県西津軽郡深浦町森山にあった日本の城である。
森山館 (青森県) | |
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森山館空撮 | |
別名 | 森山東館、森山城、茶右衛門館 |
天守構造 | なし |
主な城主 | 森山飛騨守季定、小野茶右衛門 |
廃城年 | 1613年 |
遺構 | 土塁、堀切 |
位置 | 北緯40度33分33.08秒 東経139度55分52.43秒 / 北緯40.5591889度 東経139.9312306度北緯40度33分33.08秒 東経139度55分52.43秒 / 北緯40.5591889度 東経139.9312306度座標: 北緯40度33分33.08秒 東経139度55分52.43秒 / 北緯40.5591889度 東経139.9312306度 |
地図 |
歴史
出羽国河北郡深浦森山の館主の飛騨弾守季定が1546年(天文15年)春に安東氏に背いて討たれたという記録が、松前藩の歴史書『新羅之記録 』にある。
飛騨季定(ひだすえたか)が謀反を起こすと、これに檜山城より安東尋季[1]親子が押し寄せて来た。蠣崎季広は搦手の大将として参加する、急の飛脚が告げられてきた。季広は人数をそろえ、船に乗り連ね小泊に渡り、3月5日には森山に到着した。同15日、館の内より水桶を担いで出入りする者を見て、遥かに館の麓からこれを射つと、矢は当たり後ろから胸板を射通した。森山の館は程なくして落城した。生け捕られた者どもから「館内には水が無く、敵方に悟られない様にと水を汲む真似をしていたところ、射殺された 」と聞いた。敵方の落城はこれが原因であったという。季広の朝臣の矢一つによって、飛騨季定を自害に追い込んだのである。この弓は細い竹を組み合わせた細箔[2]という[3]。
地元の言い伝えによると、森山集落は飛騨守の乱と小野茶右衛門討伐という2度の争乱のため、村は離散して一団は正道尻に移住し、他の一団は松神に逃れ、森山集落には平沢家の一団だけが残ったという。他へ移った森山流れの人々は、宗家を「大屋家」とよんでいるという[4]。
民話
脚注
参考文献
- 『岩崎村史 上巻』、岩崎村史編集委員会編、1987年