「箱根山戦争」の版間の差分

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| [[伊豆箱根鉄道|駿豆鉄道→伊豆箱根鉄道]]<br/>[[西武鉄道]]<br/>[[箱根土地]]→[[コクド]]→[[プリンスホテル]]
| [[箱根登山鉄道]]<br/>[[箱根観光船]]<br/>[[箱根ロープウェイ]]<br/>[[小田急電鉄]]<br/>[[東急電鉄|東京急行電鉄]]→[[東急]]
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! colspan="2" style="background:#B0C4DE" |影響を受けた主な公的機関・会社・人物
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| colspan="2" |[[内閣法制局|法制局]]→[[内閣法制局]]<br/>[[内務省 (日本)|内務省]]→[[国土交通省]]<br/>[[運輸省]]→[[国土交通省]]<br/>[[厚生省]]→[[厚生労働省]]<br/>[[宮沢胤勇]]、[[楢橋渡]]<br/>[[神奈川県]][[小田原市]]、[[足柄下郡]][[箱根町]]<br/>[[静岡県]]<br/>[[日本国有鉄道|国鉄]][[小田原駅]]→[[東日本旅客鉄道|JR東日本]][[小田原駅]]<br/>[[東京高等裁判所]]<br/>[[横浜地方裁判所小田原支部]]<br/>[[獅子文六]](小説化)、[[川島雄三]](映画化)<br/>[[東京地下鉄|東京メトロ]]<small>([[東京メトロ副都心線|副都心線]]による西武と東急の直通)</small><br/>[[KADOKAWA]]<small>(2社のバス会社が[[ラブライブ!サンシャイン!!|同じアニメ]]でタイアップ)</small>
|}
'''箱根山戦争'''(はこねやませんそう)は、[[第二次世界大戦]]後の[[1950年]]から[[1968年]]にかけて[[堤康次郎]]率いる[[西武グループ]]と[[安藤楢六]]率いる[[小田急グループ]]、およびそのバックに付いた[[五島慶太]]の[[東急グループ]]の間で繰り広げられた[[箱根]]の輸送シェア争いの通称<ref name="2011-195"/>。
 
巨大グループ同士の衝突が熾烈を極めたため、舞台となった[[箱根山]]の名を冠して「戦争」と呼ばれ、「箱根山[[さるかに合戦|サルカニ合戦]]」とも揶揄された<ref name="2004-92" />{{refnest|group="注釈"|これは、箱根登山鉄道のバス乗り入れに対して堤康次郎が「まるでサルカニ合戦ではないか」と発言したことに由来する<ref name="2004-9394"/>。}}。
 
西武と東急の2社は今でこそ[[東急車輛製造|鉄道車両の製造]][[直通運転]]などを行っているが、当時はこの輸送シェア争いに関する裁判や代執行大臣による仲裁が絶えなかった(本文参照)。西武陣営はその資金力で土地を押さえ、対する小田急陣営の背後についた東急陣営の[[五島慶太]]の行動は彼の名をもじって[[強盗]]と称されるほどであり、その権力とカネの対抗は[[東京証券取引所|兜町]]や[[日本の行政機関|霞が関]]にも及んだ。
 
[[戦後]]の好景気により観光需要に湧く箱根地区の[[路線バス]]相互乗り入れ協定に両社が調印することで箱根山戦争は終結した。作家の[[獅子文六]]により「'''箱根山'''」の題で[[小説]]化され<ref name="rp679-98" />後に[[川島雄三]]によって[[東宝]]で[[映画]]化された。
 
同種のものとして1953年頃からの西武グループ傘下の伊豆箱根鉄道と[[東急電鉄|東京急行電鉄]]傘下の[[伊豆急行]]による[[伊豆半島]]東海岸を舞台とした「'''[[伊豆戦争]]'''」がある。
 
また西武グループと東急グループ[[軽井沢]]・[[草津町|草津]]地区でも競争を展開し、[[箱根土地]]([[コクド]]を経て現:[[プリンスホテル]])および傘下の[[西武高原バス]](現:[[西武観光バス#軽井沢営業所|西武観光バス軽井沢営業所]])と、東急グループ傘下の[[草軽電気鉄道]](現:[[草軽交通]])による[[観光地]]でのシェア争いの例もある。
 
== 前史 ==