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{{Infobox artwork
|image_file=Madonna della Melagrana (Botticelli).png
|title=ザクロの聖母
|other_title_1=Madonna della Melagrana
|other_language_1=[[イタリア語]]
|other_language_2=[[英語]]
|artist=[[サンドロ・ボッティチェッリ]]
|year=1487年頃
|diameter_metric=143.5
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|city=[[フィレンツェ]]
|museum=[[ウフィツィ美術館]]
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[[ファイル:Virgen_de_la_granada_(Fra_Angelico).jpg|サムネイル|240x240ピクセル|ザクロを描いている[[フラ・アンジェリコ]]の『ザクロの聖母』、1426年頃、板上に[[テンペラ]]、[[プラド美術館]] ([[マドリード]])]]
『'''ザクロの聖母'''』
▲{{DISPLAYTITLE:Madonna of the Pomegranate}}
▲『'''ザクロの聖母'''』''(ザクロのせいぼ、伊'': Madonna della '')は、[[イタリア]]の[[ルネサンス]]期、[[フィレンツェ]]派の巨匠、''[[サンドロ・ボッティチェッリ]]が1487年頃に制作した板上の[[テンペラ]]画である。「トンド」としてよく知られている円形式を用いることにより、中心人物である[[聖母マリア]]と幼子[[イエス・キリスト]]に焦点が当たっている。[[聖母子像|聖母子]]は両側にいる[[天使]]によって左右対称に囲まれている。ボッティチェッリが[[テンペラグラッサ]]を使用していることで、ルネサンス期に一般的な「自然主義的」様式として知られている写実的な外観が人物に与えられている。聖母マリアは左手に[[ザクロ]]を持って、イエスを優しく腕に抱いているが、表現されているザクロは宗教的な作品における意味についていくつかの異なる解釈がある。ルネサンス期の芸術家は他の名を成した芸術家の作品を模倣して自身の技術を習得したため''、『ザクロ''の聖母』の複製は多数存在する。本作は現在、フィレンツェにある[[ウフィツィ美術館]]に展示されている。
== 歴史 ==
『ザクロの聖母』は、ボッティチェッリとして一般に知られているアレッサンドロ・ディ・マリアーノ・ディ・ヴァンニ・デイ・フィリペーピ(1445–1510年)による絵画である<ref>{{Cite web|author=|first=|date=|title=Sandro Botticelli|url=http://totallyhistory.com/sandro-botticelli/|archiveurl=|archivedate=|accessdate=|website=TotalHistory|accessdate=2021年8月12日}}</ref>。ボッティチェッリはフィレンツェで生まれ育ち、人生の大部分をフィレンツェのルネサンス期に最も称賛された芸術家の1人として過ごした。ボッティチェッリは10代前半に勉学を放棄し、フィレンツェで最も影響力のあった画家の1人、[[フィリッポ・リッピ]](1406-1469年)の下で芸術家としての修業を開始した。リッピは権力のあった有名な[[メディチ家|メディチ]]家によってフィレンツェで大切に保護されていたが、修道院や教会のために作品を制作し<ref>{{Cite web|author=Mariani|first=Mariani|date=|title=Fra Filippo Lippi|url=https://www.britannica.com/biography/Fra-Filippo-Lippi|archiveurl=|archivedate=|accessdate=|website=[[Britannica]]|accessdate=2021年8月12日}}</ref>、線描の明瞭さと女性像の描写でよく知られていた。その芸術は、ボッティチェッリの様式に大きな影響を与えており、重要である。『
== 概要 ==
絵画の中
== 様式 ==
ボッティチェッリはその画業を通じて高度な技術を持ち、頻繁に制作を依頼された芸術家であった。『
== 解釈 ==
ボッティチェッリの作品、『
=== 心臓の解剖学 ===
絵画中のザクロは、心臓の解剖学的構造の正確な表現として認識されている。 15世紀後半、ボッティチェッリは人体解剖学への関心の再興と古代に失われた医学的知識の再生を知ることとなった<ref>{{Cite web|author=Lazzeri, Al-Mousawi, Nicoli|first=Davide, Ahmed, Fabio|date=April 2019|title=Sandro Botticelli's Madonna of the Pomegranate: the hidden cardiac anatomy|url=https://academic.oup.com/icvts/article/28/4/619/5219001|archiveurl=|archivedate=|accessdate=|website=[[ Oxford Academic ]]|accessdate=2021年8月12日}}</ref>。ルネサンスの芸術家は、死体の解剖を通してこの失われた知識を取り戻すことができた。ルネサンス時代、芸術家は解剖学者になることは非常に価値があると感じて、人体をよりよく理解するようになり、芸術作品をより生き生きとしたものに改善することがでた。作品の題名''、『ザクロの聖母』は''、聖母マリアの手に握られている果物に由来している。ザクロはキリストの苦難と[[復活 (キリスト教)|復活]]の象徴としての役割を果たしており、キリスト教では生から死への移行と復活を象徴している。ザクロは、残された種から最終的にふたたび生まれるからである<ref>{{Cite web|author=Riddle|first=John M|date=February 15, 2010|title=Goddesses, Elixirs, and Witches Plants and Sexuality Throughout Human History|url=https://www.google.com/books/edition/Goddesses_Elixirs_and_Witches/o3_GAAAAQBAJ?hl=en&gbpv=0|archiveurl=|archivedate=|accessdate=|website=[[Google Books]]|accessdate=2021年8月12日}}</ref>。開いたザクロに見える赤い種は、人類を救ったイエスの流血を鑑賞者に想起させるためのものである。ザクロの皮を剥いた部分は、[[心臓|心臓の心室]]と同じく非対称の心室を表している。ボッティチェッリは内側の海綿状の膜を表示し、仮種皮(シードポッド)を5つの空間に放出している。これらの空間は、心房、心室、および主な肺動脈幹を表している。最上部は2つの部分に分かれており、上大静脈と3本の枝がある大動脈弓を模倣したものとなっている。ザクロはまた、イエスの心臓の位置を覆う胸の左側の前に位置している。実際の心臓の解剖学的構造と、イエスの胸の上のザクロの描写との、これらの驚くべき類似性は、聖母マリアとイエスが持っているザクロに隠された心臓の仮説がおそらく的を得ていることを示している。
[[ファイル:Cardiac_Anatomy.jpg|サムネイル|358x358ピクセル]]
=== 聖母マリアの美徳 ===
第二に作品にザクロを描きいれることは、聖母マリアを称賛するのに役立つ。イエスはキリスト教の中で最も重要な人物であるが、聖母マリアはその母親として重要な役割を果たしている。聖母マリアは、幼子イエスの全体的な成長を助ける強力な感情的および身体的基盤の両方を提供することにより、幼子イエスの成長に重要な役割を果たしているのである<ref name=":02">{{Cite web|author=|first=|date=|title=Sandro Botticelli Style and Technique|url=https://www.artble.com/artists/sandro_botticelli/more_information/style_and_technique|archiveurl=|archivedate=|accessdate=|website=Artible|accessdate=2021年8月12日}}</ref>。イエスが成長するにつれて、母マリアはイエスの成長する身体を扶持し、適切な栄養を提供し続ける。聖母マリアの母親としての義務には、保護を提供し、必要な技術、規則、価値観を教え、それらをイエスが一生保持するようにすることも含まれる。マリアは、神の子を産み育てるための母親としてのこの特別な役割を忠実に受け入れたために、神からのこの途方もない偉業を受け入れたために、勇気、愛、最大限の信仰などの多くの名誉ある美徳を有していることを示している。
== 複製 ==
ルネサンス期には、芸術家が他の芸術家の作品を模倣することは珍しいことではなかった。確立された芸術家の作品の複製を制作する練習は、芸術的な修行にとって重要であった。『
== 脚注 ==
<references />
{{サンドロ・ボッティチェッリ}}
{{DEFAULTSORT:さくろのせいほ}}
[[Category:サンドロ・ボッティチェリの作品]]
[[Category:聖母マリアを描いた絵画]]
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