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| 体重 = 53kg
| personalbests = Yes
| 5000m = 13分55524252
| 10000m = 28分26秒35
| ハーフマラソン = 1時間01分47秒
| マラソン = 2時間08分4842
}}
'''山本 憲二'''(やまもと けんじ、[[1989年]][[11月17日]] - )は、[[日本]]の[[陸上競技]]選手。専門は[[長距離走]]・[[マラソン]]。[[広島県]]出身。[[遊学館高校]]、[[東洋大学]]卒業出身。[[マツダ]]所属。
 
*同じく東洋大学陸上競技部OBの[[山本信二]]、及び2017年現在同部に所属している[[山本修二 (陸上選手)|山本修二]]は実の弟である。2人は尊敬する選手として長兄である憲二の名をあげている<ref>[http://www.hochi.co.jp/sports/feature/hakone/20150903-OHT1T50091.html] 【箱根への道】東洋大“兄弟リレー”山本信二&修二狙う:箱根駅伝:スポーツ報知</ref>
 
== 来歴・人物 ==
 
==== 高校時代 ====
*高校2年時に[[全国都道府県対抗駅伝競走大会]]において地元広島チームの4区を走り、5区[[鎧坂哲哉]]に襷を渡した。
*高校3年時に[[近畿大学附属広島高等学校・中学校福山校|近学附属福山高校]]から遊学館高校へ転校する。
*高校3年時の[[全国都道府県対抗駅伝競走大会]]では石川県チームの1区を走った。この時の1区にはのちのチームメイトとなる[[柏原竜二]]、[[宇野博之]]、[[佐藤寛才]]も出場しており、区間賞は[[柏原竜二]]だった。
 
*[[東洋大学陸上競技部]]時代の同級生には、[[箱根駅伝]]で4年連続5区区間賞を獲得し、山の神と呼ばれた[[柏原竜二]]がいる。
==== 大学時代 ====
*同じく東洋大学陸上競技部OBの[[山本信二]]、及び2017年現在同部に所属している[[山本修二 (陸上選手)|山本修二]]は実の弟である。2人は尊敬する選手として長兄である憲二の名をあげている。<ref>[http://www.hochi.co.jp/sports/feature/hakone/20150903-OHT1T50091.html] 【箱根への道】東洋大“兄弟リレー”山本信二&修二狙う:箱根駅伝:スポーツ報知</ref>
*20092時の第21回[[出雲駅伝]]の2区で大学駅伝デビューを果たす。1区[[柏原竜二]]から2位で受け取ったタスキ1位へとトップに押し上げた。[[第86回東京箱根間往復大学駅伝競走|第86回箱根駅伝]]では7区にエントリーされていたが、当日変更で同期の[[田中貴章]]に変更された。
*20103、[[第86回東京箱根間往復大学駅伝競走|第86回箱根駅伝]]では7区にエントリーされていたが、当日変更で同期[[田中貴章]]に変更された。2011年、[[第87回東京箱根間往復大学駅伝競走|第87回箱根駅伝]]で3年生にして箱根駅伝デビュー。復路最終アンカー10区を担当する。東洋大学は前日の往路で優勝したものの、6区で[[早稲田大学]]に追い抜か逆転され、その後は追う展開が続いていた。山本は、区間賞の走りで差を詰めた9区走者の田中貴章から稲田と40秒差の2位でタスキを受け取ると、東洋大学の箱根駅伝3連覇かけて行く稲田学・[[中島賢士]]を猛追。田中と同じく区間賞の走りで差をあと一歩まで追い詰めたが、追いつくことはできず逃げ切りを許し、21秒という史上最僅差で東洋大学は総合優勝を逃した。最終学年として迎えた、2012年の[[第88回東京箱根間往復大学駅伝競走|第88回箱根駅伝]]では往路の主要区間3区を担当。先頭で2区の[[設楽啓太]]からタスキを受けると区間2位(日本人1位・当時歴代5位のタイム)の好走でトップを守り、4区の[[田口雅也]]にタスキを繋いだ。東洋大学はその後も復路10区まで1度も先頭を譲らず、2年ぶりの総合優勝、大会記録更新を成し遂げ最後の箱根駅伝で有終の美を飾った。
*4年時の第43回全日本大学駅伝では6区で区間賞を獲得。チームの逆転優勝に望みを繋いだが、アンカー・柏原の猛追も届かず2位に終わった。[[第88回東京箱根間往復大学駅伝競走|第88回箱根駅伝]]では当日エントリー変更で3区を担当。先頭でタスキを受けると一度は早大・[[矢澤曜]]に追いつかれるも、12.5kmで矢澤を振り切り独走。区間2位(日本人1位・当時歴代5位)の好タイムをマークした。山本の走りで独走態勢を築いた東洋大はその後一度も先頭を譲らず、2年ぶりの総合優勝・大会記録更新を成し遂げ最後の箱根駅伝で有終の美を飾った。
*大学卒業後は出身地[[広島県]]の[[マツダ]]に就職。陸上部に所属し、初年度から[[ニューイヤー駅伝]]のエース区間4区を任されるなど、主力選手として活躍する。
 
*2015年、[[中国実業団対抗駅伝競走大会|中国実業団駅伝]]では中盤3区を担当。2位でタスキを受け取り、区間賞の快走で先頭との差を詰め、東洋大学の後輩でもある4区[[延藤潤]]にタスキを繋いだ。延藤が山本に続く区間賞の走りで先頭に立つと、マツダは最終7区まで先頭を譲ることなく、43年ぶりの優勝を果たした。社名が東洋工業からマツダに変わってから初の優勝であった。<ref>[http://mainichi.jp/sports/news/20151116k0000m050034000c.html] 中国実業団駅伝:マツダが43年ぶり8回目の優勝 - 毎日新聞</ref>
==== 実業団時代 ====
*2018年、[[東京マラソン]]2018では大幅に自己ベストを更新し、[[2020年東京オリンピック]]マラソン日本代表選考会『[[マラソングランドチャンピオンシップ]]』への出場権を獲得した<ref>[https://live-sports.yahoo.co.jp/live/sports/athletic_all/8526 スポーツナビ陸上:東京マラソン2018] 2018年2月25日 9時10分スタート</ref><ref>[https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180225-00000028-jij-spo]設楽悠、日本新で2位 = 6選手がMGC出場権 - 東京マラソン(時事通信) - Yahoo!ニュース</ref>。
*大学卒業後は出身地[[広島県]]の[[マツダ]]に就職。陸上部に所属し、では初年度から[[ニューイヤー駅伝]]のエース区間4区を任されるなど、主力選手として活躍する。2016年は1区区間4位。2019年には4区区間3位の好走でチームの38年ぶりの入賞に貢献している。
*2015年[[中国実業団対抗駅伝競走大会|中国実業団駅伝]]では中盤3区を担当。2位でタスキを受け取り、ると区間賞の快走で先頭との差を詰め、東洋大学の後輩でもある4区[[延藤潤]]にタスキを繋いだ。延藤が山本に続く区間賞の走りで先頭に立つと、マツダは最終7区までその後も先頭を譲ることなく43年ぶりの優勝を果たした。社名が東洋工業からマツダに変わってから初の優勝であった<ref>[http://mainichi.jp/sports/news/20151116k0000m050034000c.html] 中国実業団駅伝:マツダが43年ぶり8回目の優勝 - 毎日新聞</ref>
*2018年、[[東京マラソン2018]]2018では2時間08分48秒の大幅自己ベストを更新しで日本人5位に入り、[[2020年東京オリンピック]]マラソン日本代表選考会『[[マラソングランドチャンピオンシップ]](MGC)』への出場権を獲得した<ref>[https://live-sports.yahoo.co.jp/live/sports/athletic_all/8526 スポーツナビ陸上:東京マラソン2018] 2018年2月25日 9時10分スタート</ref><ref>[https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180225-00000028-jij-spo]設楽悠、日本新で2位 = 6選手がMGC出場権 - 東京マラソン(時事通信) - Yahoo!ニュース</ref>。
*2019年の[[びわ湖毎日マラソン]]ではさらに自己ベストを更新する2時間08分42秒で日本人トップの7位に入った。
*同年のMGCでは15kmで2位集団を引っ張るなど見せ場は作ったものの、25km手前で第3集団から脱落し16位に終わった。
 
== 記録 ==
*[[5000メートル競走|5000m]] - 13分555242(201352(2020 中国実業団記録会
*[[10000メートル競走|10000m]] - 28分272667(201335(2015 [[八王子ロングディスタンス]]
*10マイル - 46分25秒(2019年 [[熊本甲佐10マイル公認ロードレース大会|甲佐10マイルロードレース]])
*[[ハーフマラソン]] - 1時間01分47秒(2014年)
*[[ハーフマラソン]] - 21時間08014247(2019(2014 [[全日本実業団ハーフマラソン]]
*[[ハーフマラソン]] - 12時間01084742(2014(2019 [[びわ湖毎日マラソン]]
 
== 出典 ==