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1969年にチューリッヒ大学に移り、1996年まで古典文献学の教授として教えた。その間、1977年と1988年には[[カリフォルニア大学]]の古代文学の客員教授、1982年にハーバード大学の講師も務め、1989年には[[セント・アンドルーズ大学 (スコットランド)|セント・アンドルーズ大学]]でギフォード講義を行なった。1986年から1988年までチューリッヒ大学哲学部の学部長の座にあり、1996年には名誉教授として引退した。
 
1990年に[[バルザン賞]]、1999年には[[プール・ル・メリット勲章]]を、2008年には[[ドイツ連邦共和国功労勲章]]を授与された。
 
== 学術的業績 ==
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ブルケルトは『ホモ・ネカーンス』英語訳の序文において、自らを「古代ギリシアのテクストから始めた文献学者であり、宗教現象に対して[[生物学]]的、[[心理学]]的、そして[[社会学]]的理解を探求している」と紹介している<ref>Introduction, p. xix. ただしブルケルトは社会学に重点を置いているものの、生物学についてはそれほどでもない。</ref>。そして1972年時点のドイツ語読者に対してある意味革新的だった、神話・儀礼間の相互関係性([[ジェームズ・フレイザー]]やケンブリッジ儀礼学派の影響)やジェーン・E・ハリソンの『テミス』<ref>p. xiii. ハリソンの『テミス』が特に挙げられている。</ref>に見られるような[[機能主義]]、そしてギリシア宗教の[[行動学]]と社会的側面を解明するための[[構造主義]]的手法を利用したことが『ホモ・ネカーンス』の根底にある原則の一部であるとしている。ブルケルトは本書における起動力となったのは、暴力の不安定な現れに対して新たな洞察をもたらした[[コンラート・ローレンツ]]の『攻撃』であったと認めている。「本書は、ギリシア人にとって団結とは贖いを伴う聖犯罪を通して達成されるものだった、ということを議論している。古代宗教における動物供犠の奇妙な卓越性にしてみても、このことはもっとも経済的で、もっとも人間的な解釈であった」(p. xv)。第1章「殺す行為としての犠牲」で提示される諸々の結論は、続く諸章において行なわれる神話、祭儀、儀礼の個別分析によって補強される。そこにおいては、詩的創造と再創造 (re-creation) の役割は「可能な限り十全に伝統の力や効果と対峙するため」無視されているのである。ブルケルトは、「神」なる術語は依然として流動的だが、犠牲は「事実」なのだ、と結論付けている (p. xv)。
 
== 栄誉 ==
*1990年 [[バルザン賞]]
*1999年 [[プール・ル・メリット勲章]]
*2003年 [[ジークムント・フロイト賞]]
*2008年 [[ドイツ連邦共和国功労勲章]]
 
==関連項目==