「西洋教育史」の版間の差分

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その中でも、自らの教育論を語った著名なフマニストというと、[[北方ルネサンス]]の巨匠[[デジデリウス・エラスムス|エラスムス]]がその筆頭に位置し、あとはイギリスでは[[トーマス・モア]]、[[T・S・エリオット|エリオット]]、フランスではビュデ、[[ラブレー]]、スペイン出身のヴィヴェス、やや時代を下がると、イギリスのアスカム、フランスの[[モンテスキュー]]も出てくる。また[[メランヒトン]]は、ルター派の宗教改革の流れの後を受けて、学校制度の整備を行い、「ドイツの教師」との敬称で呼ばれた。
 
エラスムスは、1529年<!---??--->の『幼児教育論』で、子供といえども一個の人間であり、かかる(時間や金など)存在として扱うべしと説き、中世以来続いてきた鞭による非人間的で、容赦のない教育を非難した。それは、自由人にふさわしい教育方法とは言えず、人間を奴隷化するものだとした。
 
またヴィヴェスは、学校を初等学校とアカデミーの二つに分け、初等学校は、7 - 15歳の子供のためすべての都市に設けられ、そこに徳の高い教師が採用され、その給与は公費で賄われる、と市民革命以後の公教育制度の先駆的な提唱を行った。またアカデミーの教育内容では、七自由学科に加えて、自然学(今の初等理科の内容)、技術も配して、その発想の近代性を示した。