「山本浩二」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
出典張り替え、Rテンプレート使用
100行目:
{{by|1994年}}から{{by|2000年}}まで、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]・[[広島テレビ放送|広島テレビ]]解説者を務めたが、球団に要請され、{{by|2001年}}から再び広島の監督に就任した。第2次監督在任中は一度もAクラスになることがなく、{{by|2005年}}に成績不振(12年ぶりの最下位)を受け、辞任した。監督時代の第1期では[[前田智徳]]や[[緒方孝市]]、[[江藤智 (野球)|江藤智]]など、第2期には[[新井貴浩]]や[[嶋重宣]]、[[栗原健太]]を打線の主力として育成した。監督退任後の{{by|2006年}}より、日本テレビ・広島テレビ解説者に復帰した。
 
{{by|2007年}}、[[星野仙一]]日本代表監督の下、[[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]]野球日本代表チームの守備・走塁コーチに就任したが、結果は4位に終わった。
 
{{by|2008年}}に[[野球殿堂 (日本)|野球殿堂]]入り。{{by|2010年}}より[[日本プロ野球名球会]]副会長に就任し、2014年より理事長に就いている。
 
{{by|2012年}}10月10日に、「[[侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」]]から[[野球日本代表]]監督を務める」と発表され<ref>[https://npb.jp/japan/news/20121010a.html 侍ジャパン新監督に関するお知らせ] NPB公式サイト (2012年10月10日) 2015年4月15日閲覧</ref>、11月13日、背番号が「'''88'''」となったことが発表された<ref>[https://npb.jp/japan/news/20121113.html 侍ジャパン 監督、コーチ背番号決定のお知らせ] NPB公式サイト (2012年11月13日) 2015年4月15日閲覧</ref>。投手総合コーチには[[東尾修]]を起用した<ref>[http://www.titech.ac.jp/news/2013/024413.html スポーツ講座2013山本浩二さん「野球に感謝」開催報告]</ref>。
 
{{by|2013年}}3月に開催された[[2013 ワールド・ベースボール・クラシック|第3回WBC]]では、過去3回中最高の成績で決勝ラウンドまで通過するも、準決勝の[[野球プエルトリコ代表|プエルトリコ]]戦に1対3で敗北し、優勝を逃した。また、8回裏の重盗失敗に関しては、内野守備走塁コーチを務めた[[高代延博]]によると、[[グリーンライト]]のサインが出ているとはいえ行かせると山本に念を押したのは自分であるとし、山本は会見で「[[グリーンライト]]のサインを送り走らせたことは間違ってない。悔いはない」と述べた。高代は「スタッフの責任も選手のミスも、そのすべてを背負い込んでくれた」と自著で著している<ref>{{Cite book |和書 |author=[[高代延博]] |year=2013 |title=WBC 侍ジャパンの死角 |publisher=角川書店 |pages=220-226頁}}</ref>。
 
{{by|2019年}}春先に体調を崩し、長期休養に入った。{{by|2020年}}に旧友の田淵が野球殿堂入りし、1月18日に行われた法大OB会にて田淵は「今朝(山本と)電話にて話して、現在は体重こそ減ったが現在30〜40分くらいの散歩をしているそう。もしかしたら4月から解説に復帰する」と山本の状況を語っている<ref>{{Cite news2 |title=療養中の山本浩二氏が解説復帰へ「30〜40分くらい散歩」田淵氏が明かす |newspaper=デイリースポーツ |date=2020-01-18 |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2020/01/18/0013045061.shtml |agency=神戸新聞社 |accessdate=2020-02-07}}</ref>。