「TBS放送センター」の版間の差分

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==概要==
1984年1月、東京放送(TBS。現・TBSホールディングス)の[[山西由之]]社長(当時)が「放送センター建設」の意思を表明した<ref>『TBS50年史』p575</ref>。ほかの在京[[キー局]]と比べ、TBSは社有地が比較的に広大なため(戦前期は[[近衛第3歩兵第3連隊]]の司令部)、別館ビルとゴルフスタジオを取り壊すことで移転せずに新社屋を建設することが可能だった。1985年、放送センター特別委員会が報告書を提出した。その内容は、TBSの赤坂に社有地と払下げを求める国有地を合わせた66,729㎡の土地に、延べ床面積66,759㎡の放送センターを建設する。放送センターにラジオスタジオ八つ、テレビスタジオ五つを設置、TBSの全機能を集約する<ref>『TBS50年史』p495</ref>。
 
1990年5月14日、TBSが新社屋建設計画を正式に公表した。建設計画も修正され、ラジオスタジオが八つ、テレビスタジオが六つ(うち報道スタジオとパノラマスタジオ一つずつ)になった。スタジオは主に低層部と中層部に設置する<ref>『TBS50年史』p495</ref>。工事の総工費は1,200億円、うち500億円は社債で賄う<ref>『TBS50年史』p541</ref>。