「飯能戦争」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
出典追加
出典追加
120行目:
 
==== 諸隊の合流と飯能転陣 ====
5月15日、斥候から[[上野戦争]]が勃発したとの知らせが届くと、振武軍は5月16日0時に箱根ヶ崎を出立した<ref name="菊地74">[[#菊地 2010|菊地 2010]]、74頁</ref>。青梅街道を東進して上野を目指したものの、同日朝に一行が[[高円寺]]付近に到着した際に斥候から彰義隊が壊滅したとの報が届いた<ref name="菊地74"/>。一行は上野への進軍を諦めて田無に引き返すと、上野戦争で敗れた彰義隊、臥龍隊{{#tag:ref|仁義隊の主力部隊<ref>[[#飯能市郷土館 2011|飯能市郷土館 2011]]、9頁</ref>。仁義隊は間宮金八郎を隊長とした部隊で、[[八王子千人同心]]の向山春吉をはじめとした[[多摩郡]]出身者のほか、各藩の脱藩浪士らで構成されていた<ref>[[#松尾 2006|松尾 2006]]、78頁</ref>。間宮は仁義隊の主力300人余を率いて上野戦争に参戦し、臥龍隊と称していた<ref name="松尾91">[[#松尾 2006|松尾 2006]]、91頁</ref>。|group=注}}の兵士が続々と集まりだした(『廻り田新田御用届』)<ref name="飯能炎上20">[[#飯能市郷土館 2011|飯能市郷土館 2011]]、20頁</ref><ref>[[#飯能市郷土館 2012|飯能市郷土館 2012]]、17頁</ref>{{#tag:ref|『里正日誌』では振武軍を含め1,500人ほどになったと記している<ref name="飯能炎上15">[[#飯能市郷土館 2011|飯能市郷土館 2011]]、15頁</ref><ref>[[#飯能市郷土館 2012|飯能市郷土館 2012]]、20頁</ref>。ただし、『飯能辺騒擾日記』{{#tag:ref|作者不詳<ref name="宮間2016 303">[[#宮間 2016|宮間 2016]]、303頁</ref>。飯能戦争を新政府側の視点で記したもの<ref name="宮間2016 303"/>。筆者については[[岩倉具視]]の指示で関東地方で諜報活動を行っていた[[落合直亮]]ともいわれるが定かではない<ref name="宮間2016 303"/>。|group=注}}では最終的に飯能に屯集した兵の数を600人<ref>[[#飯能市郷土館 2012|飯能市郷土館 2012]]、68頁</ref>、飯能村など4か村の役人が戦の後に領主に充て提出した『乍以書付御奏申上候』(双木家文書)では450人ほどと記している<ref name="関係史料集78">[[#飯能市郷土館 2012|飯能市郷土館 2012]]、78頁</ref><ref>[[#飯能市史編集委員会 1988|飯能市史編集委員会 1988]]、371頁</ref>。そのため『上野彰義隊と箱館戦争史』では『里正日誌』の記述は実数より1,000人ほど多いものとしている<ref>[[#菊地 2010|菊地 2010]]、74頁</ref>。|group=注}}。
 
一行は田無で一泊した後、5月17日に二手に分かれて出立<ref name="飯能炎上15"/>。一隊は[[秩父往還]]を通り所沢を経由して、もう一隊は青梅街道や[[日光脇往還]]を通り、箱根ヶ崎や扇町屋を経由して[[飯能市|飯能]]へ向かった<ref name="飯能炎上15"/>{{#tag:ref|『上野彰義隊と箱館戦争史』では箱根ヶ崎を経由した隊を振武軍、所沢を経由した隊を彰義隊としている<ref name="菊地75">[[#菊地 2010|菊地 2010]]、75頁</ref>。|group=注}}。振武軍と行動を共にした者には彰義隊の[[比留間良八 (1841年生)|比留間良八]]<ref name="大藏b 52-53">[[#大藏 2020b|大藏 2020b]]、52-53頁</ref>{{#tag:ref|[[武蔵国]][[高麗郡]]出身で、諱は利衆<ref name="大藏b 52-53"/>。[[甲源一刀流]]の剣客で、一橋家家臣に取り立てられた後、剣術教授方や陸軍銃隊指図役などを務めた<ref name="大藏b 52-53"/>。[[下総国]][[香取郡]]出身の比留間良八掃部とは別人<ref name="大藏b 52-53"/>。掃部は[[講武所]]指南役・今堀登代太郎の教えを受けた[[新陰流]]の使い手であり、利衆と同様に彰義隊士となった<ref name="大藏b 52-53"/>。|group=注}}、芝崎確次郎<ref>[[#大藏 2020b|大藏 2020b]]、32-33頁</ref>、竹澤市五郎(渋沢市五郎)<ref>[[#大藏 2020b|大藏 2020b]]、40-41頁</ref>、水橋右京(水橋右京之亮)<ref name="飯能炎上42">[[#飯能市郷土館 2011|飯能市郷土館 2011]]、42頁</ref><ref>[[#大藏 2020b|大藏 2020b]]、58-59頁</ref>、瀧川渡<ref name="飯能炎上42"/>、純忠隊の[[友成安良]]<ref>[[#大藏 2020b|大藏 2020b]]、46-47頁</ref>らがいる。