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王猛が慕容垂排除を苻堅に進言した理由は「慕容垂は聡明で龍や猛獣は飼いならすことはできず、いつかは自立する」と見越していたためとされる。苻堅は取り合わなかったが、淝水の戦い後に王猛の懸念は現実となり、慕容垂は前秦から自立していった<ref name="中華の崩壊90">川本『中国の歴史05』、P90</ref>。ただし慕容垂自身は苻堅に恩義を感じていたとされ、苻堅が生存している間は群臣から称帝を勧められても常に拒否したという<ref name="民族大移動104"/>(実際、淝水の敗戦で逃げる苻堅を自軍に収容した際も殺さなかった。また弟の慕容徳が[[暗殺]]を進言してきた時も拒否したという)。
 
=== 怪異譚 ===
唐の太宗([[太宗 (唐)|李世民]])は遼の地方へ出征した折、定州を通過した。その時、道端に1人の鬼が黄衣を纏って高い塚に立っており、その神采は特異なものであった。太宗は使者を通じて語りかけたところ、その鬼は「我らはかつて君らに勝ったが、君らは今我らに勝とうとしている。栄華とは各々の代で異なるものであり、どうしてこのように苦しめ追い詰めるのか」と答え、言い終えるや姿は見えなくなった。そこは慕容垂の墓所であったという<ref>太平広記 第328巻より</ref>。
 
== 宗室 ==