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[[1983年]]、[[サンライズ (アニメ制作会社)|日本サンライズ]]へ入社<ref>[[笹川ひろし]]が[[タツノコプロ]]出身のサンライズのプロデューサー長谷川徹を紹介した。</ref>。[[高橋良輔 (アニメ監督)|高橋良輔]]監督の下で『[[装甲騎兵ボトムズ]]』『[[機甲界ガリアン]]』などの[[制作進行]]を務めた後、[[1985年]]、[[富野由悠季]]監督の下で『[[機動戦士Ζガンダム]]』の設定制作を経て同作品の第31話「ハーフムーン・ラブ」で演出デビュー、『[[機動戦士ガンダムΖΖ]]』『[[機動戦士ガンダム 逆襲のシャア]]』『[[機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争]]』と[[ガンダムシリーズ]]に携わる。[[1990年]]、[[OVA]]『[[SDガンダム]] 』シリーズ「SDガンダム猛レース」で初監督。
 
[[勇者シリーズ]]には[[1990年]]第1作目の『[[勇者エクスカイザー]]』のスタート時から参加した。第3作目の『[[伝説の勇者ダ・ガーン]]』では[[谷田部勝義]]監督を補佐する演出チーフを務める。翌年の[[1993年]]から第4作目の『[[勇者特急マイトガイン]]』第5作目の『[[勇者警察ジェイデッカー]]』第6作目の『[[黄金勇者ゴルドラン]]』と3作品連続で監督を務めた。『高松三部作』と呼ばれる。
 
[[1995年]]から放送された『[[新機動戦記ガンダムW]]』では、監督の[[池田成]]が突然途中降板したため、監督代行を務めた<ref>同作品のプロデューサーを担当していたサンライズの[[植田益朗]]の要請だった。</ref>。クレジットはされていない。これは『[[黄金勇者ゴルドラン]]』と並行しての監督作業だった。[[1996年]]には後番組の『[[機動新世紀ガンダムX]]』の監督を務めた。