「アントーニオ・モリナーリ」の版間の差分

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== 略歴 ==
[[ヴェネツィア]]で生まれた。父親のジョヴァンニ・モリナーリ(Giovanni Molinari)はピエトロ・デラ・ヴェッキア(Pietro Della Vecchia) の弟子で、あまり知られていない画家だった。父親の工房で学んだ後、[[アントニオ・ザンキ]](Antonio Zanchi: 1631–1722)の工房で働いた。 アントニオ・ザンキやドイツ出身でヴェネツィアで働いていた[[ヨハン・カール・ロト]](Johann Carl Loth:1632–1698)のスタイルから影響を受けた。独立した画家になり、1678年に肖像画を描き、1678年から1681年は現在のクロアチアの[[マカルスカ]]の修道院の壁画を描いた。
 
ヴェネツィアの公共施設の壁画を描くようになり、ローマの画家、建築家[[ピエトロ・ダ・コルトーナ]]の影響を受けてその色使いは明るいものになった。1690年代にはベネツィアで重要な画家の一人となった。