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利用者:Nissy-KITAQ/KIKU(14:00, 31 August 2021‎‎ UTC)から記述を移動。翻訳以外の日本語資料に由来する情報を加筆して表記を調整した。
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| location = [[ハワイ州]][[ホノルル]]
| country = [[アメリカ合衆国]]
| callsign_meaning = '''KIKU'''は[[日本語]]の[[菊]]('''きく''')から{{Sfn|魚住|1998|p=81}}<ref>「菊薫る天長節の佳日を期して初放映を行ったところ」に由来するという(松永 2015, p. 222.)。</ref><br />[[KHNL]]のかつてのコールサイン
| former_callsigns = KHAI-TV(1983年 - 1993年)
| former_channel_numbers = '''アナログ:'''<br>20(UHF、1983年 - 2009年)
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== 歴史 ==
=== ハワイにおける日本語放送の芽生え ===
ハワイには明治時代以降、多くの日本人が移民して一大コミュニティを形成していた。1960年の全米人口調査ではホノルル近郊の人口35万のうち日系人が12万人を占めており{{Sfn|魚住|1998|p=82}}、日系人は白人や中国系を抑えて最大のエスニックグループとなっていた{{Sfn|松永|2015|p=221}}。当時は日本語を話す一世・二世も多く、日系コミュニティにとって日本語メディアは渇望されるところであった。1954年に日本航空のホノルル便が就航して以降、日本人渡航者は増加しており、観光業界からのスポンサーシップも期待された{{Sfn|魚住|1998|p=82}}。
 
日本語メディアとしては19世紀末から日本語新聞が発行されており{{Sfn|魚住|1998|p=81-82}}、1929年にはラジオにおける日本語番組の放送も行われていたが{{Sfn|魚住|1998|p=82}}、1960年にはラジオ局KOHOが初の全日日本語放送を行い、1963年には[[KZOO]]が放送を開始してこれに続いた。一方でテレビについても日本語番組が求められるようになり、テレビ局[[KGMB|KGMB-TV]]で1952年12月21日の16:30から1時間、初の日本語番組が放送された{{Sfn|魚住|1998|p=82}}。その後KONA(現在のKHON)、KULA(現在のKITV)など、各局でも一週間に2時間ほどの{{Sfn|松永|2015|p=221}}定期的な日本語放送が行われるようになった{{Sfn|魚住|1998|p=82}}。
 
そんな中、敏腕のメディア経営者として知られたリチャード・イートンはハワイでKTRG-TVというテレビ局の経営が傾いているという情報を聞きつけ、フレンドリー・ブロードキャスティング・カンパニー(以下「フレンドリー社」と表記)を開設してこの局をオーナーのハワイアン・パラダイス・パーク社から買収し、自ら経営を立て直そうと画策した{{Sfn|魚住|1998|p=83}}。1966年にはフーヴァー立石(Youichi Hoover Tateishi)がフレンドリー社に加わった。ハワイ生まれの帰米二世である{{Sfn|松永|2015|p=221}}立石は[[ハワイ大学]]を卒業後、米軍に勤務したのちに日本語ラジオ局KOHO、KZOOの開設に関わり、その経営に尽力していた{{Sfn|魚住|1998|p=84}}。
 
1966年2月3日にフレンドリー社は放送通信事業の規制監督を行う[[連邦通信委員会]](以下、'''FCC''')に対して放送免許の移行を申請した{{Sfn|魚住|1998|p=83}}が、それに対してFCCは免許移動にあたって、市場調査の妥当性、コミュニティーのニードが本当に満たされるのか、管理能力はあるのかの3点について聴聞を行う必要があると通知してきた。さらにFCCのジョンソン委員による「外国語放送の有益な面を評価しつつも、それによる国家の分裂や分断化を懸念せざるを得ない」という内容の反対意見書が添付されてきた{{Sfn|魚住|1998|p=85}}。
 
この通知を受けて事態が膠着すると判断した立石は一旦フレンドリー社を離れて単身日本に渡り、東京や大阪のテレビ局を訪問して番組の調達ルートを開拓した{{Sfn|魚住|1998|p=84}}。またKTRGの権利者デヴィッド・ワトゥマル(David Watumull)と交渉し、定期の日本語番組の放映を開始した{{Sfn|魚住|1998|p=84}}。この番組には日本からの番組のみならず独自制作の番組も含まれ、日本語講座や地域番組、女性向けの番組などがあった{{Sfn|魚住|1998|p=84}}。
 
聴聞会では立石やハワイ大学・アジア太平洋地域言語学教授のジョン・ヤング博士などがハワイにおける日本語放送の必要性を主張した。その結果、審査委員会は放送免許の移管を認可した。初代ゼネラルマネージャーには立石が就任した{{Sfn|魚住|1998|p=84}}。こうして1967年11月3日にKIKUは初放映を行った{{Sfn|魚住|1998|p=87}}。当初は設備も不十分で視聴取状態も悪く、映像が途切れたので「聞くテレビ」などとヤジが飛ぶこともあったというが{{Sfn|魚住|1998|p=87}}、立石や2代目ゼネラル・マネージャーのジョアン二宮らは地道に改善を積み重ね、順調に人気を集めた。特にジョアンの時代劇や子供番組路線が公表を博した{{Sfn|魚住|1998|p=88}}。
 
=== ホノルルのKIKUコールサインの過去の歴史 ===
放送中は「40年以上」と宣伝しているが、歴史上現在のKIKU」は、かつてKIKUコールサインを使った局は二つある。どちらもハワイを放送エリアとして日本語放送を行ってきテレビ局だが、現在の「KIKU」と[[超短波|VHF]]チャンネル13を使ったかつてホノルル「KIKU」は別他の放送局と混同しな法人である{{Sfn|魚住|1998|p=89}}。以下、それぞれにつことて記述する

当局は、ワトゥムル・ブロードキャスティング・カンパニー(''Watumull Broadcasting Company'')の所有の下、[[1962年]][[7月4日]]([[独立記念日 (アメリカ合衆国)|独立記念日]])に独立局KTRG-TVとして立ち上げられた。1966年に売却され、コールサインを'''KIKU'''に変更した<ref name="Raycom Media">{{cite web |url=http://www.raycommedia.com/stations/khnl.htm |title=Archived copy |accessdate=2006-12-12 |urlstatus=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070103000333/http://www.raycommedia.com/stations/khnl.htm |archivedate=2007-01-03 }} Raycom Media</ref>。初期のKIKUは、[[1970年]]代を通じてハワイの子どもたちに大人気となり、[[仮面ライダーV3]]、[[人造人間キカイダー]]、[[愛の戦士レインボーマン]]、[[がんばれ!!ロボコン]]、[[秘密戦隊ゴレンジャー]]、[[バトルフィーバーJ]]など、[[日本]]の[[特撮|特撮番組]]を放映した。
 
サンディエゴのクッシュマンは、[[テレビ朝日]]と10人の地元投資家と協力して、ミッドパシフィック・テレビジョン・アソシエイツを結成し、[[1979年]][[4月9日]]にチャンネル13を買収した。日本の番組は簡素化され、19:00から22:00までのゴールデンタイムに移動した。KIKUは『kid vid』形式に切り替え、『ザ・チルドレンズ・アワー(''The Children's Hour'')』や『プロフェッサー・ファン(''Professor Fun'')』などの番組で成功を収めた<ref name="Raycom Media"/>(日本の番組は[[1981年]]までに完全に廃止された)。
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=== KIKUの歴史 ===
[[File:Pacific Guardian Center.jpg|thumb|本社のあるビショップ通り737]]
チャンネル20の歴史は、割り当てのライセンスが[[連邦通信委員会]](以下、'''FCC''')に提出され、コールサイン'''KHAI-TV'''で正式に登録された[[1980年]][[2月12日]]まで遡る。[[テネシー州]][[チャタヌーガ]]に本拠地を置くメディア・セントラル所有の下、[[1983年]][[12月30日]]にそのコールサインの下で放送を開始した<ref>[https://www.americanradiohistory.com/Archive-Channels-of-Communication/Channels-1988-01.pdf Anatomy of a Bankruptcy], ''Channels of Communication'', January 1988.</ref>。当初、当局の番組は、昼間と深夜の時間帯(『[[ガジェット警部]]』や『[[ボルトロン]]』などの[[テレビアニメ|アニメ]]、[[インフォマーシャル]]、[[カンフー映画]]などの映画パッケージをフィーチャー)に従来の独立局の番組を反映しており、アジアの番組のほとんどは、チャンネル13・KIKUの形式と同様に夕方に放送されていた。これは、スケジュール全体を通してアジアの番組を拡大するにつれて、何年にもわたって徐々に変化していった。KHAIは元々、チャンネル21でオセアニック・ケーブル(''Oceanic Cable''・以下、''オセアニック'')によって放送され、[[C-SPAN]]はKHAIが放送されていなかった朝の時間帯にスペースを引き継いだ。これは、オセアニックが基本的なケーブルラインナップを再調整し、当局をチャンネル9に移動するまで続いた。メディア・セントラルが財政難に陥り、[[連邦倒産法第11章]]による[[破産]]を申請した後、KHAIは[[1989年]]に[[ロサンゼルス]]の多文化放送局である{{仮リンク|KSCI|en|KSCI}}の所有者に売却された<ref>[https://www.americanradiohistory.com/Archive-BC/BC-1989/BC-1989-07-24.pdf Changing Hands], ''{{仮リンク|Broadcasting & Cable|en|Broadcasting & Cable}}'', July 24, 1989.</ref>。[[1993年]][[9月4日]]、コールサインを'''KIKU'''に変更した。
 
[[2003年]]10月、当局のゼネラル・マネージャーであるグレッグ・ミューラーは、3年間の在職期間を経てKIKUを退職した。長年を経て、JNプロダクションズのジョアン・ニノミヤ二宮<ref>[[外務省]](MOFA): [http://www.mofa.go.jp/ICSFiles/afieldfile/2007/11/08/2007AutumnConfermentofDecor.pdf 2007 秋の外国人叙勲受章者名簿 6ページ(''Autumn Conferment of Decorations on Foreign Nationals, p. 6.'')]{{en icon}}</ref><ref>外務省:[https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/protocol/pdfs/h19_au.pdf 外国人叙勲受章者名簿 平成19年秋 7ページ]{{ja icon}}</ref>代理社長は、[[2004年]]初めにKIKUとのパートナーシップを終了した。
 
[[2004年]][[11月1日]]、KIKUは[[United Paramount Network]](UPN)との二次提携を開始した<ref>[http://the.honoluluadvertiser.com/article/2004/Oct/28/il/il03a.html KIKU-TV to pick up UPN programs], ''[[ホノルル・アドバタイザー]]'', October 28, 2004.</ref>。当局は、UPNと提携するホノルル市場で4番目で最後のテレビ局となった。KFVEは[[1995年]]1月から[[2002年]]9月まで市場の最初のUPN系列として機能し、その後{{仮リンク|KHON-TV|en|KHON-TV}}と[[KGMB]]は[[2004年]]10月まで共同の二次系列としてネットワークの番組編成を共有した。KIKUは、殆どのUPN番組を午後遅くに放映したが、一部の番組はパターン外で放映された。例えば、[[2006年]]に、当局は金曜日午後にUPNの木曜日夜のコメディブロックを順不同で放映し、その結果、土曜日深夜の時間枠で『[[スマックダウン|WWEフライデー・ナイト・スマックダウン]]』が放映された。
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=== WRNN-TVアソシエイツへの売却 ===
[[2019年]][[12月9日]]、[[ニューヨーク市]]に本拠地を置く{{仮リンク|WRNN-TV|en|WRNN-TV}}の所有者である{{仮リンク|WRNN-TVアソシエイツ|en|WRNN-TV Associates}}が、[[連邦通信委員会]](FCC)の承認を待って、NRJから7つのフルパワーテレビ局(KIKUを含む)と1つのクラスA局(特殊な地位を与えられた低出力テレビ局の一つ{{Sfn|海野|2016|p=128}})を買収する契約を締結したことが発表された<ref name="nrjtvsale"/>。売却は[[2020年]][[1月23日]]にFCCによって承認され<ref name="nrjtvsaleapproved">http://licensing.fcc.gov/cgi-bin/ws.exe/prod/cdbs/pubacc/prod/app_det.pl?Application_id=1813384</ref>、同年[[2月4日]]に完了した<ref>[https://licensing.fcc.gov/cgi-bin/ws.exe/prod/cdbs/forms/prod/cdbsmenu.hts?context=25&appn=101815245&formid=905&fac_num=29015 Consummation Notice]</ref>。[[2021年]]5月、当局は現在の番組を終了し、同年[[6月28日]]に{{仮リンク|ShopHQ|en|ShopHQ}}の放送を開始すると発表した。この変更は、RNNが殆どの放送局をShopHQと提携させるために行った大規模な取引の一部だった<ref>{{cite web |title=The Rumor is True {{!}} KIKU-TV Hawaii |url=https://kikutv.com/the-rumor-is-true/ |website=KIKU-TV |accessdate=1 July 2021 |date=28 May 2021}}</ref>。
 
== デジタルテレビ ==
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[[2021年]][[5月30日]]、KIKUは同年[[6月28日]]以降、フィリピンと日本のテレビコンテンツの放送を停止し、代わりにShopHQ(現在2番目のサブチャンネルで放送)の系列局になることが発表された<ref>{{Cite web|title=Hawaii's KIKU TV to Stop Airing Japanese Content in June|url=https://www.animenewsnetwork.com/news/2021-05-30/hawaii-kiku-tv-to-stop-airing-japanese-content-in-june/.173381|accessdate=2021-06-27|website=Anime News Network|language=en}}</ref>。
 
この事態を受け、ハワイ州選出の上院議員であるエド・ケース(Ed Case)とカイ・カヘレ(Kai Kahele)がFCCに対して書簡を送付した。彼らはKIKUの日本語・フィリピン語番組は多くの住民が用いる言語による番組にアクセスするために重要な役割を果たしており言語学習や文化の浸透に重要であること、アジア系住民はハワイ州の人口の36%を占めており、彼らのためにも多文化番組が必要であることを指摘し、2023年の放送免許更新の際にこうした事情を考慮するよう求めた<ref>{{Cite web |url=https://www.hawaiinewsnow.com/2021/07/01/hawaii-congressmen-appeal-fcc-save-cultural-programming-kiku/ |title=Hawaii congressmen appeal to FCC to save cultural programming on KIKU |publisher= |date=Jul. 1, 2021 |accessdate=2021-08-30}}</ref>。
== 批判 ==
 
=== 主な日本語番組 ===
以下のような番組が放送されていた。時代劇から新しいドラマ作品まで幅広く選択されている。
 
*[[大河ドラマ]]{{Sfn|魚住|1998|p=88}}
*[[紅白歌合戦]]{{Sfn|魚住|1998|p=88}}
*[[土曜ワイド劇場]](英題:Mystery Theatre)<ref>{{Cite web |url=https://kikutv.com/programs/japanese/mystery-theatre/ |title=Mystery Theatre |publisher=KIKU |date= |accessdate=2021-08-30}}</ref>
*[[相棒]](英題:partners)<ref>{{Cite web |url=https://kikutv.com/programs/japanese/partners-14/ |title=Partners 14 |publisher=KIKU |date= |accessdate=2021-08-30}}</ref>
*[[花嫁のれん]](英題:Behind the Noren)2015年から<ref>{{Cite web |url=https://kikutv.com/behind-the-noren-2/ |title=Behind the Noren |publisher=KIKU-TV Hawaii |date=March 18, 2015 |accessdate=2021-07-01}}</ref>2019年にかけて放送された<ref>{{Cite web |url=https://www.facebook.com/login/?next=https%3A%2F%2Fwww.facebook.com%2Fkikutv%2Fposts%2Fbehind-the-noren-4-final-episodes-59-60-tonight-9-10pmthe-whole-series-of-behind%2F2363628537008434%2F |title=Behind The Noren 4 -final episodes |publisher=KIKU-TV Hawaii |date=2019/05/05 |accessdate=2021-07-01}}</ref>
*[[そこが知りたい]](英題:Soko ga Shiritai)のちに後継番組として[[美しい日本に出会う旅]]を放送<ref>{{Cite web |url=https://kikutv.com/programs/japanese/soko-ga-japan/ |title=Soko ga Japan |publisher=KIKU-TV Hawaii |date= |accessdate=2021-07-01}}</ref>(英題:Soko ga Japan<ref>{{Cite web |url=https://kikutv.com/sayonara-soko-ga-shiritai-aloha-soko-ga-japan/ |title=Sayonara “SOKO GA SHIRITAI”, Aloha “SOKO GA JAPAN” |publisher=KIKU-TV Hawaii |date=March 16, 2017 |accessdate=2021-07-01}}</ref>)
*[[秘密のケンミンショー]](英題:Japan's Local Secret)
*[[フジサンケイ・コミュニケーションズ・インターナショナル|FCI News Catch!]]<ref>{{Cite web |date=2021-07-07 |url=https://fujisankei.com/news/2021/0707_9610.html |title=「FCI News Catch!」放送チャンネルの変更、終了のお知らせ |publisher=Fujisankei Communications International, Inc. |accessdate=2021-08-14}}</ref>
 
== コギク ==
『コギク』(英文表記は『Kokiku』{{Sfn|松永|2015|p=235}}、1975年10月-2011年)はKIKUの元スタッフで漫画家の藤井日出男と、[[毎日新聞]]の英文記者出身である鈴木瑞枝の夫妻によって創刊されたテレビ雑誌である{{Sfn|松永|2015|p=217-218}}。KIKUの番組情報を提供するとともに視聴者のメディアへの参加の場、さらに日本語の教材としての役割も持ち{{Sfn|松永|2015|p=227-231}}、オアフ島内外の視聴者に絶大な人気を博した{{Sfn|松永|2015|p=218}}。日本の芸能情報が得られる貴重な情報源でもあった。創業時点はB5版のカラー表紙で全34ページ、一冊1.5ドル(年間15ドル)で{{Sfn|松永|2015|p=219}}、印刷はハワイ報知が行っていた{{Sfn|松永|2015|p=218}}。1995年に藤井が没してからはハワイ報知に売却され、2011年まで同社が発行した<ref>{{Cite web |url=http://www.thehawaiihochi.com/#con04 |title=沿革 |publisher=ハワイ報知 |accessdate=2021-08-30}}</ref>。
 
[[2006年]]4月のハードコピー出版物「コキク・マガジン(''Kokiku Magazine'')」では、ファンは『[[そこが知りたい]]』など、過去の紀行番組を放送し続けるKIKUに不満を表明していた<ref>[http://www.doramasuki.com/forum/viewtopic.php?f=7&t=24 DoramaSuki.com Soko ga Shiritai]</ref>。次の5月号では、KIKUのゼネラルマネージャーであるフィリス・キハラが当局の立場を擁護し、『そこが知りたい』は、平日19:00の時間枠で放送されることを示す主要なネットワークの一部よりもローカルの{{仮リンク|ニールセン視聴率|en|Nielsen ratings}}で高い評価を得ていると述べた。
 
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== 脚注 ==
{{reflist}}
 
== 参考文献 ==
*{{Cite journal|和書|author=魚住 真司|year=1998|title=米国日本語テレビの誕生経緯とその変遷 : ホノルルKIKU-TVの30年
|journal=同志社アメリカ研究|publisher=同志社大学アメリカ研究所|volume=34|issue=|pages=81-90|doi=10.14988/pa.2017.0000008962|ref={{Sfnref|魚住|1988}}}}
*{{Cite journal|和書|author=海野 敦史|year=2016|title=米国における地上放送局に対する行為規制を通じた「放送の地域性」の確保のための制度的措置
|journal=情報通信学会誌|publisher=情報通信学会|volume=34|issue=2|pages=128|doi= |ref={{Sfnref|海野|2016}}}}
*{{Cite journal|和書|author=松永 智子|year=2015|title=<研究ノート>複合文化社会・ハワイの日本語テレビ --テレビ雑誌『Kokiku』に着目して--
|journal=京都メディア史研究年報|publisher=京都大学大学院教育学研究科メディア文化論研究室|volume=1|issue=1|pages=217-237|doi=10.4200/jjhg1948.50.23|ref={{Sfnref|松永|2015}}}}
 
== 外部リンク ==