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マルキオンは小アジアの[[黒海]]沿岸の[[ポントス]]付近の都市シノペの出身であるとされ、職業は船主であったという。司教であった父と対立して出奔、小アジア各地を経てローマに至った。ローマの教会に私財を寄付して受け入れられたがやがて対立、その思想が正統なものでないと判断され、[[144年]]の教会会議で破門された。このためマルキオンはローマで独自の教会を設立するに至った。彼の創設した教会はマルキオン派とよばれ、初めローマで盛んになり、後に各地へ分散して長く存続することになった。
 
マルキオンは異端とされたために教会による焚書が行われ、著書は現存していない。しかしマルキオンの思想は彼を反駁した神学者たちの資料から逆に推測することが可能である。マルキオンに反駁した神学者としては、[[ユスティノス]]、[[エイレナイオス]]、[[テルトゥリアヌス]]、[[オリゲネス]]などがあげられる。マルキオンの思想を知るために特に重要なのは[[テルトゥリアヌス]]の著作『マルキオン反駁』である。
 
反駁者たちの文章から推測されるマルキオンの思想は次のようなものである。まず、イエスは[[ユダヤ教]]の待ち望んだ[[メシア]]ではなく、まことの神によって派遣されたものである。ユダヤ教の期待するメシア像は政治的リーダーで異邦人を打ち破るという要素が組み込まれていたことがマルキオンには誤りと思えたのだ。また、神が人間のように苦しむはずがないとして、イエスの人間性を否定した。このようにイエスの人間性を単にそのように見えただけだとする考え方を[[仮現説]](ドケティスム)という<ref>{{Cite book|和書|author=D・A・v・ハルナック|year=1997|title=教義史綱要|publisher=久島千枝|pages=P.54}}</ref>。