「シバの女王」の版間の差分
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==概要==
シバの女王についてもっとも古い記録は『[[旧約聖書]]』「[[列王記]]上」10章<ref>[[s:列王紀上(口語訳)#第10章]]</ref>および「[[歴代誌]]下」9章<ref>[[s:歴代志下(口語訳)#第9章]]</ref>にみえる。それによると、「シバの女王は[[ソロモン]]の知恵の噂を伝え聞くと、多くの随員を伴って、香料、大量の金、宝石などの贈り物を
==シバ国の位置==
[[1世紀]]の人物、[[フラウィウス・ヨセフス]]著の『ユダヤ古代誌』によるとシバの女王は「[[エジプト]]と[[エチオピア]]を支配した女王」で、名前は'''ニカウレー'''(Nikaule)と記されている<ref group="注">ヨセフスはエチオピアの王都サバは後の[[メロエ]]([[スーダン]]の都市)であるとしているため、現在の[[エチオピア]]とは位置が異なる</ref>。ヨセフスの指す「サバ」は『[[旧約聖書]]』「[[イザヤ書]]」にあるエジプトやスーダン南方の「セバ(Saba)」と「[[列王記]]」の「シバ(Sheba)」との混同あるいは同一視があると指摘されている<ref>蔀 勇造『シェバの女王』p21</ref>。
一方で、紀元前4世紀から前1世紀にかけて[[テオフラストス]]、アガタルキデス、[[ストラボン]]などの著作に南アラビアの
王国の所在地については上記のようにエチオピア近辺と南アラビアの二説があるが、両地域はまったくの無関係ではない。南アラビアのサバ国と、対岸の[[エリトリア]]、[[エチオピア]]北部には、両地域の深い関係を示す遺跡や碑文が多数残されている。また、[[紀元前5世紀]]ごろの王は「ダァマトとサバのムッカリブ」と称したが、現地民のダァマトと移民のサバを支配するムッカリブ(王たちの支配者)という意味で、この「ムッカリブ」は同時代の南アラビアでも使用されたなど称号に関しても両地域の関係性が見られる<ref>蔀 勇造『シェバの女王』p31</ref>。
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Betty_Blythe_Queen_of_Sheba_adjusted.jpg|{{small|シバの女王を演じる女優ベティ・ブライス<br/>1921年}}
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== 脚注 ==▼
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== 出典 ==▼
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== 参考文献 ==
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* [[シバノジョオウノタマグシ]](シバの女王の玉櫛) - [[キョウチクトウ科]]の多肉植物。[[マダガスカル]]産。学名:Pachypodium densiflorum
* [[シバ (小惑星)]] - シバの女王に因んで命名された小惑星
▲== 脚注 ==
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▲== 出典 ==
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==外部リンク==
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