「ローラ・カーズ」の版間の差分

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}}</ref>。ジャーナリストの[[熊野学]]は、前年モデルT92/50との重量バランスの比較から、新しいギアボックスが非常に重いことが重量超過の主因であろうと指摘した<ref>「オートスポーツ」 [[三栄書房]]、1993年5月1日号、56頁</ref>。全日本F3000では、軽量のアンダーパネルとトランスミッションケースなどを投入してマシン後部の軽量化を進めたり<ref>「オートスポーツ」 [[三栄書房]]、1993年10月1日号、26頁</ref>、T92/50のギアボックスを取り付ける<ref>「オートスポーツ」 [[三栄書房]]、1993年6月1日号、51頁</ref>などの対策を採るチームもあった。
:国際F3000へのエントリーが1台も無く、全日本のみで使用された。濃霧のため決勝が中止された第7戦と第8戦で[[ポールポジション]]を獲得したが、勝利を記録することは無かった。ローラをドライブする星野一義が3度目のチャンピオンとなったが、星野はデータが豊富で信頼性が高い前年型のマシンを使用した。
:国際F3000のシーズン終了後、ヨーロッパのサーキットでT93/50のデモンストレーションが行われた。[[ヴィンチェンツォ・ソスピリ]]がドライブするT93/50はレイナードの記録したタイムを塗り替えるパフォーマンスを見せ、ローラは翌シーズンへ向けて国際F3000チームからの受注に自信を見せた<ref>「オートスポーツ」 [[三栄書房]]、1994年1月15日/2月1日合併号、54頁</ref>。
;T94/50
:全体に車体が細くなり、サイドポッドは小さく短くなった。この変更で、空力的に安定し、車体のピッチングの影響を受けにくくなると考えられた<ref name=as19940215-18>「オートスポーツ」 [[三栄書房]]、1994年2月15日号 18頁</ref><ref name=lola151>{{Cite book
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:国際F3000ではノルディックとオメガランドの2チームがローラを使用したが、シーズンを通じての最上位はノルディックの[[ジョルディ・ジェネ]]が[[カタロニア・サーキット]]で記録した4位だった。
;T95/50
:T94/50から大きくボディデザインを変更した。このマシンは国際F3000において1992年以来の優勝を果たすことに成功し、[[マルク・ホーセンス|マーク・グーセン]]がシリーズ3位を獲得した。全日本F3000では、[[ノバエンジニアリング|ノバ]]チームが使用したが、ローラを使用するプライベーターは、主に旧型を走らせた。1995年チャンピオンはローラの[[鈴木利男]]が獲得したが、旧型のT94/50によるものだった。
;T96/50
:国際F3000の参戦費用高騰を防止する為にマシンはローラ、エンジンは[[ザイテック]]・[[ジャッド]]のワンメイクシリーズとなりハード面での競争が無くなった。