「宋金戦争」の版間の差分
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{{See also|海上の盟}}
[[File:MongolHuntersSong.jpg|thumb|right|宋金両国の対遼同盟。契丹人の狩猟。国立故宮博物院所蔵。|alt=Khitan hunters on horseback with one rider holding an eagle]]
女真族は現在の中国東北部から北東アジアにかけての地域に居住していた[[ツングース系]]の半農半猟の部族であった。女真族の大半は遼に臣従しており、当時の遼はモンゴル・中国北部・東北部・契丹・朝鮮北部・極東ロシアの一部{{sfn|Holcombe|2011|p=129}}を支配する遊牧民族帝国であった。遼と宋は良好な関係にあった{{sfn|Ebrey|2010|p=136}}が、1005年の衝突による[[澶淵の盟]]以来、宋は毎年絹20万本と銀10万両を歳幣として支払っていた{{sfn|Mote|1999|p=116}}。一方で女真族に対する遼の支配では、[[初夜権]]が契丹側にあるなどとされたため、女真族側では支配に大きな
[[File:Wanggiyan Aguda.jpg|thumb|left|200px|女真族の長、1115年より[[金 (王朝)|金]]の皇帝 [[完顔阿骨打]]]]
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