「フォークダンスDE成子坂」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集
38行目:
[[1998年]][[6月]]から[[1999年]][[2月]]にかけ、[[新宿シアターモリエール]]にて単独イベント『'''自縛'''』を隔月開催し(10ヵ月で5回、全10公演)、1999年[[12月]][[末日]]をもって解散。
 
直属の後輩であった[[伊達みきお]]([[サンドウィッチマン (お笑いコンビ)|サンドウィッチマン]])から「偉大な先輩。めちゃくちゃ面白くて、めちゃくちゃ人気もあって、めちゃくちゃ格好良いコンビだった。若手時代、生であの衝撃的に面白いライブを観る事が出来たのは我々の糧になっている」と敬意を表されている<ref name=″:1″>{{Cite web|url=https://ameblo.jp/mikio-date/entry-12578546205.html|title=フォークダンスDE成子坂☆|date=2020-02-29|accessdate=2021-03-23|publisher=[[サンドウィッチマン (お笑いコンビ)|サンドウィッチマン]][[伊達みきお]] 公式ブログ}}</ref>。
 
== 来歴 ==
64行目:
* [[増田英彦]]([[ますだおかだ]])は、[[GAHAHAキング 爆笑王決定戦|GAHAHAキング]]での共演を機に若手時代から親交があった。コンビを解散して一線を退いていた桶田に声を掛け、自身のコンビの単独ライブの余興(桶田と[[岡田圭右]]の2人で作った、増田には内緒のリハーサル無しのぶっつけ本番による30分コント)を依頼する形で、少しずつお笑いの世界に戻るきっかけを作った<ref>{{Cite web|url=https://ameblo.jp/msokm/entry-12578264261.html |title=フォークダンスDE成子坂・桶田敬太郎 |publisher=[[ますだおかだ]][[増田英彦]]ブログ |date=2020-03-05|accessdate=2021-08-31}}</ref>。また、村田の没後に自身のブログで「フォークダンスDE成子坂のコントは本当に面白かった。俺らは漫才師で良かった。コントやってたら(成子坂には)勝てなかった」と振り返っている<ref>{{Cite web|url=https://ameblo.jp/msokm/entry-10066975325.html |title=村田渚 |publisher=[[ますだおかだ]][[増田英彦]]ブログ |date=2006-11-12|accessdate=2021-08-31}}</ref>。
* [[片桐仁]](元[[ラーメンズ]])は学生時代、[[さまぁ〜ず|バカルディ]]やフォークダンスDE成子坂が好きでコントをコピーしていた事がある<ref>{{Cite web|url=https://natalie.mu/music/pp/sakanamon/page/2|title=SAKANAMON×ラーメンズ片桐仁対談(2/3) - 音楽ナタリー 特集・インタビュー|date=2012-12-05|accessdate=2021-09-08|publisher=お笑いナタリー}}</ref>。
* [[サンドウィッチマン (お笑いコンビ)|サンドウィッチマン]]は、ホリプロに所属していた頃に手伝いとして単独ライブ『自縛』に携わっており、立ち見で公演を観ていた。[[2005年]]の[[M-1グランプリ]]敗者復活戦に当時鼻エンジンとして出場していた村田と喫煙所で会った際「『サンドウィッチマンおもろなったなぁ、近々決勝行くんちゃう?』と声を掛けて貰った時には凄く励みになった」と、[[伊達みきお]]が自身のブログで記している<ref>{{Cite web|urlname=https://ameblo.jp/mikio-date/entry-12578546205.html|title=フォークダンスDE成子坂☆|date=2020-02-29|accessdate=2021-03-23|publisher=[[サンドウィッチマン (お笑いコンビ)|サンドウィッチマン]][[伊達みきお]]1″ 公式ブログ}}</ref>(その[[2007年|翌々年]]、M-1グランプリで敗者復活枠として決勝に勝ち上がり優勝を飾った)。
* [[小峠英二]]([[バイきんぐ]])は、晩年の村田と接する機会が多かった。村田の没後、自身のブログで「初めて事務所のネタ見せで(鼻エンジンを)見た時、衝撃を受けた。あの人に面白いと認められたかった。俺はあの人に夢中やった」と記している<ref name=″:2″>{{Cite web|url=http://blog.goo.ne.jp/byeking-kotouge/e/5b4591b15452e3b36812604cfc0e8e20|title=村田渚さん|date=2006-11-28|accessdate=2021-09-16|publisher=[[バイきんぐ]][[小峠英二]]オフィシャルブログ「見ル前二跳ベ」}}</ref>。また「村田渚という芸人に出会えて、本当に良かった。これからはあの人に教えてもらったことを心に。そして少しでもあの人に近づけるよう、もっともっとやらんと。好きくらいじゃアカンわ。狂わんと」と決意を固めるきっかけとなり、その後[[2012年]]の[[キングオブコント]]で優勝を飾った<ref>{{Cite web|urlname=http:2″ //blog.goo.ne.jp/byeking-kotouge/e/5b4591b15452e3b36812604cfc0e8e20|title=村田渚さん|date=2006-11-28|accessdate=2021-09-16|publisher=[[バイきんぐ]][[小峠英二]]オフィシャルブログ「見ル前二跳ベ」}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://natalie.mu/owarai/news/77033|title=コント日本一はバイきんぐ「キングオブコント2012」速報|date=2012-09-22|accessdate=2021-09-16|publisher=お笑いナタリー}}</ref>。
* TAKIUE([[流れ星☆ (お笑いコンビ)|流れ星☆]])は若手時代、桶田の家に居候していた。初めて芸人として人前に立たせて貰えたのは桶田が当時活動していたバンド「The 3cm~」の前説だった<ref>{{Cite web|url=https://ameblo.jp/asai-nagareboshi/entry-10723943200.html
|title=レジェンド達 |publisher=[[流れ星☆ (お笑いコンビ)|流れ星]]瀧上 オフィシャルブログ「イタイのイタイの飛んで行け!」|date=2010-12-01|accessdate=2021-08-31}}</ref>。