「エドワード8世の退位」の版間の差分

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'''エドワード8世の退位'''({{lang-en|Abdication of Edward VIII}})は、[[1936年]]に行われた[[イギリスの君主]]の[[退位]]。当時の[[王・皇帝#大英帝国|王・皇帝]]だった[[エドワード8世 (イギリス王)|エドワード8世]]が、最初の夫と離婚した後、再婚した夫との離婚話を進めていたアメリカ人の[[ソーシャライト]]、[[ウォリス・シンプソン]]に求婚した事から始まり、[[イギリス帝国|大英帝国]]の憲政を揺るがす危機に発展した。
 
この結婚には、[[イギリス]]本国と[[イギリス連邦]]の[[自治領]]の政府が反対した。宗教的、法的、政治的、道義的な観点から反対意見が出されたのである。イギリスの君主であるエドワードは、[[イングランド国教会]]の名目上のトップ頭領であり、イングランド国教会は離婚者の元配偶者が存命の場合、教会で再婚する事を認めていなかった{{efn|2002年、[[イングランド国教会]]は、一定の条件の下で、離婚経験者が教会で再婚する事を認めた<ref>{{citation|url=http://www.bbc.co.uk/religion/religions/christianity/ritesrituals/divorce_1.shtml|title=Divorce in Christianity|publisher=BBC|date=23 June 2009}}</ref>。}}。このため、エドワードはシンプソンと結婚した上で、玉座にとどまる事はできず、過去に2度の婚姻歴があったシンプソンは、政治的にも社会的にも王妃の候補として不適任と広く見なされていた。[[エスタブリッシュメント]]の間では、彼女は国王への愛より、財産や地位を目当てにしていると思われていたにも関わらず、エドワードは、シンプソンを愛しており、彼女の2度目の離婚が成立したらすぐにでも結婚するつもりだと宣言した。
 
シンプソンを王妃として受け入れる事への広範な拒否反応、そしてエドワードが彼女との結婚をあきらめる事を拒否した事によって、1936年12月の彼の[[退位]]につながった{{efn|12月10日に、退位詔書が署名され、翌日には{{仮リンク|エドワード8世退位法 (1936年)|label=エドワード8世退位法|en|His Majesty's Declaration of Abdication Act 1936}}として法制化された。[[南アフリカ連邦]]議会は12月10日に遡って退位を承認し、[[アイルランド自由国]]は12月12日に退位を承認した<ref name=Heard>{{Citation| first=Andrew| last=Heard| title=Canadian Independence| year=1990| place=Vancouver| publisher=Simon Fraser University| url=https://www.sfu.ca/~aheard/324/Independence.html| accessdate=6 May 2009}}</ref>。}}。
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戦間期の英米関係は緊張しており、イギリス人の大半はアメリカ人を[[王妃]]として受け入れる事に抵抗を覚えていた<ref>{{citation|last=Pope-Hennessy|first=James|author-link=James Pope-Hennessy|title=Queen Mary|publisher=George Allen and Unwin Ltd|location=London|year=1959|page=574}}</ref>。 当時、一部のイギリスの上流階級はアメリカ人を軽蔑し、社会的に劣っていると考えていた<ref>Williams, pp. 40–41.</ref>。 一方でアメリカの一般市民は明確に結婚を支持しており<ref>Williams, p. 266.</ref>、ほとんどのアメリカの報道機関も同様であった<ref>Williams, p. 90; Ziegler, p. 296.</ref>。
 
=== 宗教と法律 ===
当時、イングランド国教会は、元配偶者が存命中に離婚経験者が教会で再婚する事を禁じていた。君主はイングランド国教会との関係を持つ事が法律で定められており、その名目上の頭領、すなわち{{仮リンク|イングランド国教会首長|label=首長|en|Supreme Governor of the Church of England}}であった。1935年、イングランド国教会は「いかなる状況においても、キリスト教徒の男女が元配偶者の存命中に再婚できない」事を再確認した<ref>{{citation|author=Ann Sumner Holmes|title=The Church of England and Divorce in the Twentieth Century: Legalism and Grace|url=https://books.google.com/books?id=8CglDwAAQBAJ&pg=PA44|year=2016|publisher=Taylor & Francis|page=44|isbn=9781315408491|ref=none}}</ref>。[[カンタベリー大主教]]の{{仮リンク|コスモ・ゴードン・ラング|en|Cosmo Gordon Lang}}は、イングランド国教会の首長である国王は、離婚経験者と結婚できないとした<ref>G. I. T. Machin, "Marriage and the Churches in the 1930s: Royal abdication and divorce reform, 1936–7." ''Journal of Ecclesiastical History'' 42.1 (1991): 68–81.</ref>。
 
もしエドワードが、2人の存命の元配偶者がいる離婚経験者のウォリス・シンプソンと民事婚の形で結婚したとするなら、それは教会の教義や、教会の職権上の責任者としての彼の役割と真っ向から対立する事につながった<ref name=time>{{citation|title=A Historic Barrier Drops|journal=Time|date=20 July 1981|url=http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,954854,00.html|archive-url=https://web.archive.org/web/20071213220519/http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,954854,00.html|url-status=dead|archive-date=13 December 2007|access-date=2 May 2010}}</ref>{{efn|[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]は最初の結婚を終わらせる目的で、[[イングランド国教会#ローマとの分裂|イングランド国教会をローマから分離した事]]で知られるが、実際には離婚しておらず、[[婚姻の無効|婚姻は無効]]になっていた<ref>{{citation|last=Laliberte|first=Marissa|date=19 March 2020|title=How Queen Elizabeth II Will Step Down—Without Giving Up Her Title|work=Reader's Digest|url=https://www.rd.com/article/how-queen-elizabeth-step-down-without-abdicating/|access-date=1 July 2020}}</ref>。 ヘンリー8世の6度の結婚のうち、3度が[[教会法]]で無効を宣告されている。 彼と[[キャサリン・オブ・アラゴン]]との婚姻は、[[近親相姦]]という理由で取り消された(キャサリンはヘンリーの兄である[[アーサー・テューダー]]と結婚していた)。ヘンリーと[[アン・ブーリン]]との結婚は、彼女が反逆罪で有罪判決を受けた後、無効とされた。彼と[[アン・オブ・クレーヴズ]]の結婚は、式の6か月後にアンが他の人物と婚約していたという口実で、結婚は成立しておらず無効とされた<ref>{{citation|last=Weir|first=Alison|author-link=Alison Weir|year=1996|title=Britain's Royal Families: The Complete Genealogy|publisher=Random House|location=London|isbn=978-0-7126-7448-5|pages=152–154}}</ref>。離婚は有効な婚姻を解消する物であるのに対し、無効はその婚姻自体が不成立であり、存在しなかった事を認定する物である。無効宣告された者は婚姻歴がないのに対し、離婚経験者は既に結婚歴がある事になる<ref>{{citation|title=Divorced, Beheaded, Died|last=Phillips|first=Roderick|work=History Today|date=July 1993|volume=43|issue=7|pages=9–12}}</ref>。}}
 
「性格の不一致」を理由にアメリカで成立したウォリスの最初の離婚は、イングランド国教会では認められておらず、イングランドの裁判所で争われた場合、[[イングランド法]]では認められなかった可能性がある。当時、イングランド国教会とイングランド法は、[[姦通|不貞行為]]のみを離婚を認める理由としていたのである。その結果、この論法によるなら、彼女の2度目の結婚も、エドワードとの結婚も、[[重婚]]とみなされて無効とされる<ref>Bradford, p. 241.</ref>。
 
== 注釈 ==