削除された内容 追加された内容
68行目:
[[第19回衆議院議員総選挙|1936年の総選挙]]で[[熊本県第1区 (中選挙区)|熊本1区]]から[[国民同盟 (日本)|国民同盟]]で出馬し、初当選。以後、途中[[公職追放]]によるブランクや落選を挟んで通算6期衆議院議員を務めた。[[1958年]]の[[第2次岸内閣]]では[[農林水産省|農林]][[政務次官]]を務めている。
 
国政の傍ら、[[1945年]]には第12代熊本市長を兼任し翌年まで1期務め、また[[高橋守雄]]の懇請によって[[熊本学園大学|東洋語学専門学校]]の初代理事長を務めた。[[第29回衆議院議員総選挙|1960年の総選挙]]で次点に終わり捲土重来を期したものの、熊本市長だった[[坂口主税]]が[[熊本県知事一覧|熊本県知事選]]に出馬するため任期途中で辞職すると、その後任を選ぶ市長選に立候補。再度当選し2期務めたが、任期途中の1970年に辞職し2年後に死去した。なお、石坂の地盤を継ぐ格好で[[野田武夫]]が[[神奈川県第2区 (中選挙区)|神奈川2区]]から選挙区を鞍替えしている。
 
==著書==