「海上自衛隊の航空母艦建造構想」の版間の差分

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[[ジェーン海軍年鑑]]1985-6年版では、日本が16,000トン級の大型ヘリ空母(対潜ヘリ14機搭載、ミサイルVLS装備)の建造を計画していると記載されたが、読売新聞の取材に対して、防衛庁はこの記載を否定した<ref name=読売1985>{{Cite news|newspaper=読売新聞|date=1985年8月17日|page=2}}</ref>{{Efn2|読売新聞は、ジェーン海軍年鑑1985-1986年版の記載において、「日本は1988~1992年の五ヶ年の防衛力整備の最も野心的な計画として、16,000トン級の大型ヘリ空母の建造を計画している。この空母には、14機の対潜ヘリを搭載するほか、垂直発射ミサイル装置を持ち、対潜作戦能力は飛躍的に増強される」との記載があることを報じ、併せて防衛庁が「ジェーン年鑑が指摘する防衛力整備は62中業(64~68年度)を指すものと見られるが、59中業(61~65年度)すらまだ決定しておらず、大型空母建造など根も葉もないことだ。ジェーン年鑑に対して、訂正を申し入れる」としたことも報じた<ref name=読売1985/>。}}。その後、同年10月20日付けの[[日本経済新聞]]にて、防衛庁内で洋上防空の柱として「VTOLなどを積む護衛用軽空母」を導入する構想が浮上していることが報じられた<ref name=日経1985>{{Cite news|title=洋上防空強化へ軽空母 VTOLとヘリ積載 制服組中心に構想 内局は慎重、具体化難航|newspaper=[[日本経済新聞]]|date=1985年10月20日}}</ref>{{Efn2|記事によると、防衛庁では「各種装備の組み合わせによる効率的な洋上防空体制の在り方」について検討を行っており、軽空母構想も検討対象の一つとなっていた。軽空母構想は[[海上幕僚監部]]を中心に検討され、基準排水量は15,000トン前後、10機程度のVTOL戦闘機と5機か6機の対潜ヘリを積載するとされ、攻撃型空母には当たらないとされた。軽空母の導入により、海上自衛隊の艦船が[[シーレーン]]防衛を担当する際に、相手の戦闘機や爆撃機から攻撃を受けてもVTOL戦闘機での即応が可能となる。防衛庁内局の中にも「VTOL空母は中長期的には検討していくべきだ」との好意的な声がある一方、防衛庁内局の大勢は軽空母構想に否定的であり、「少なくとも中期防期間中に構想が具体化することはない」、「軽空母は示威活動には役立つかもしれないが、専守防衛のわが国ではあり得ないし、むしろ標的になるだけではないか」との声が出ていた<ref name=日経1985/>。}}。日経新聞の報道により計画が部外に明らかになった当初、軍事評論家の藤木平八郎は縦深洋上防空には理解を示すも、[[BAe シーハリアー|シーハリアー]]の能力不足を指摘していた{{Sfn|藤木|1986}}。[[統合幕僚長|統合幕僚会議議長]]を務めた[[佐久間一]]はDDV構想について、「今でもある課題ですけれども、防空用の空母というか、DDVというか、それはずっと課題なんですよね」とした上で、当時の海幕のシミュレーションでは、[[Tu-22M (航空機)|バックファイアー]]にシーハリアーで対応しても、シーハリアーの性能ではバックファイアーに敵わないとの結果だったので計画を見送ったが、後に59中業において「シー・ハリヤ―・プラス(原文ママ)」{{Efn2|佐久間はこの戦闘機を、まだ戦力化していなかった機体だと述べているので、[[ハリアー II (航空機)|AV-8B+ ハリアー II プラス]]のことだと思われる。}}という次のバージョンならば何とかなるとのことで、DDVを計画に入れようとしたが、内局からは(空母はダメだということで)徹底して反対されたとしている{{Sfn|近代日本史料研究会|2007|loc=上巻124頁}}。佐久間は「DDVが絶対とは私は今でも思っていません。しかし、いちばん現実的なオプションではあるだろうな」との見解を示している{{Sfn|防衛省防衛研究所戦史部|2007|loc=下巻154頁}}。DDVは護衛艦の名を冠してはいるが実質的な空母であるため、国内外から強い反発が予想されることから政治的配慮が働き、防衛庁内局を中心に強い反対意見が出ていた{{Sfn|吉田|2016|p=47}}。
 
また、ほぼ同時期に、日本戦略研究センター{{Efn2|[[自衛隊]]高級幹部OB及び[[自由民主党 (日本)|自民党]]防衛族議員で構成されていた。現在は解散し、[[日本戦略研究フォーラム]]に継承されている。}}が政府・自民党に対して提出した「防衛力整備に関する提言」の中で「護衛水上部隊は、七個護衛隊群とする。そのうちの五個護衛隊群は、それぞれ各出撃二~三週間の連続作戦に必要な対潜ヘリコプターのほかに、対象勢力の新型基地[[爆撃機]]を要撃する[[要撃機]]などを積載できる対潜ヘリコプター等搭載、大型護衛艦(DLH)一隻を中核として編成する」とされていた{{Sfn|福好|2001}}{{Efn2|他にも洋上防空の手段として、[[P-3 (航空機)|P-3C対潜哨戒機]]を母体として、早期警戒能力や[[フェニックスAIM-54 (ミサイル)|フェニックス空対空ミサイル]]12発および[[AN/AWG-9]]火器管制システムを搭載したEP-3C改を、[[厚木海軍飛行場#海上自衛隊|厚木]]の[[第4航空群]]に10機、[[那覇空港#海上自衛隊那覇航空基地|那覇]]の[[第5航空群]]に10機の各一個飛行隊を編成し、那覇基地と[[硫黄島航空基地|硫黄島基地]]、[[父島基地]]{{Efn2|父島基地に海上滑走路と弾薬庫などを新たに新設する構想であった}}に配備して洋上防空を行う''空中巡洋艦構想''も検討されていたが、空中巡洋艦構想はEP-3C改の行動半径が沖縄周辺空域と硫黄島周辺空域に限定され、DDVやイージス艦と比較して作戦柔軟性や迅速性に乏しく、護衛艦隊の都合に合わせて一体運用出来ないことを理由に早々に検討対象から除外されていた<ref>防衛庁 洋上防空体制研究会資料 か-56</ref>。}}。
 
以上のような検討を経て、DDVはおおむね、排水量15,000〜20,000トン前後、全通甲板を有し、[[BAe シーハリアー|シーハリアー]]級の戦闘機を10機前後、[[早期警戒機|早期警戒(AEW)ヘリコプター]]および対潜哨戒ヘリコプターを数機搭載する構想となった。しかし、洋防研において母機対処の必要性は理解されたものの、肝心のシーハリアーの能力が限定的であり、超音速のTu-22M爆撃機への対処に不安が残ったほか{{Sfn|立川|道下|塚本|石津|2008}}、「空母」という言葉のもつ政治的インパクトへの配慮{{Sfn|香田|2009}}、更に[[アメリカ海軍]]の反対(アメリカ海軍空母の護衛に加わるための[[イージス艦]]の優先を推奨){{Sfn|田岡|2001}}もあったことから、海幕はDDV計画を取り下げ、イージス艦導入に重点を形成することとされた。イージス艦については、[[吉田學]][[中将|海将]]が当時の[[アメリカ海軍作戦部長]][[ジェームズ・ワトキンス]]大将を説得したことにより、当初予定されていた一世代前のものではなく、最新の[[イージスシステム]]の提供が実現した{{Sfn|阿川|2001}}。