「AIM-47 (ミサイル)」の版間の差分

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[[ファイル:YF-12 takeoff.jpg|thumb|250px|離陸直後のYF-12]]
F-108の開発は[[1959年]][[9月23日]]に正式に中止されたが、AN/ASG-18とGAR-9の開発はその後も継続することが決定され、ミサイルは[[1962年]]の名称整理に伴う[[ミサイル・ロケットの命名規則 (アメリカ合衆国)|命名規則]]の変更によりAIM-47に改名された。F-108が開発中止になったため、AN/ASG-18とAIM-47の兵装システムは、ロッキードが[[1960年]]から[[アメリカ中央情報局|CIA]]のA-12 OXCART偵察機の派生機として開発していた[[YF-12 (航空機)|YF-12]]迎撃戦闘機に搭載されることになった。YF-12はXF-108と同じように胴体に兵器倉を持っていたが、XF-108のものよりも小さく、そのままではXAIM-47Aが搭載できなかった。このため、弾体を短縮し、折り畳み式の翼を持たせたAIM-47Bが造られ、これを3発搭載することにした。YF-12の兵器倉は4つあるが、このうち1つは大型化してしまった火器管制システムを搭載するためのスペースに使われてしまったため、3発までしか搭載できなかった。YF-12A試作機から行われたAIM-47の13回の試射のうち、12回が目標に命中した<ref>B. Rich, Skunk Works, (Boston: Little, Brown, and Co., 1994), p.236.</ref>。ただ1回命中しなかったものは、ミサイルの電源の故障と判断された。最後のAIM-47は、マッハ3.2、高度22,677 m(74,400 ft)で飛行しているYF-12から、地上500 ft(152 m)のQB-47標的ドローンに対して発射された。F-12プログラムもまた[[1966年]]までに中止されたが、ヒューズは量産前生産で約80発のAIM-47を製造した。また、その技術がアメリカ海軍の[[フェニックス (ミサイル)|AIM-54 フェニックス]]の開発に活かされ、AN/ASG-18も後の[[AN/AWG-9]][[火器管制レーダー]]の基礎となった。
 
== 特徴 ==
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* [[AIM-26 (ミサイル)|AIM-26 ファルコン]]
* [[AGM-76 (ミサイル)|AGM-76 ファルコン]]
* [[フェニックス (ミサイル)|AIM-54 フェニックス]]
* [[XF-108 (戦闘機)|XF-108 レイピア]]
* [[アメリカ合衆国のミサイル一覧]]