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=== 信虎の甲斐追放 ===
天文10年([[1541年]])6月14日、信虎が信濃国から凱旋し、娘婿の今川義元と会うために[[駿州往還|河内路]]を駿河国に赴いたところ、晴信は甲駿国境を封鎖して信虎を強制隠居させる<ref>『勝山記』『高白斎記』</ref>。[[板垣信方]]・[[甘利虎泰]]ら譜代家臣の支持を受けた晴信一派によって河内路を遮られ駿河に追放され、晴信は武田家家督と守護職を相続する<ref group="注釈">晴信は家督相続に際して官途名を「左京夫」から「大膳大夫」に改めており、信虎期の外交方針を転換し、信濃諏訪氏との関係を手切とし、信濃侵攻を本格化させ山内上杉氏とも敵対していく。</ref>。
 
信虎は今川義元の元に寓居することになり、正室・大井夫人は甲斐国に残留しているが、信虎側室は駿河国へ赴いており、同地において子をもうけている。