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| 死没 = 不詳
| 改名 =
| 別名 = 美作守、大膳夫信貞
| 法名 =
| 官位 =
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== 概略 ==
『[[四鄰譚藪]]』によれば、'''大井光照'''は美作守、あるいは大膳夫信貞といい、甲斐[[大井氏|武田流大井氏]]の出で[[武田信昌|武田信正(信昌)]]の子であり、[[文明 (日本)|文明]]3年([[1471年]])に甲斐国より入部し[[大井城]]を継いだという<ref>「信」の字は武田氏が多く用いる諱だが、大井氏が「信」の字を諱に用いるのはこの人が始めであるという。</ref>。
小県郡の[[依田氏|依田窪]]上域の[[長窪城|長窪郷]]に定着していた甲斐武田流大井氏が、[[大井氏|岩村田大井氏]]と縁戚関係を結び存続を図ったと考えられる。
光照には5人の子があり、長男弾正貞晴は[[岩尾城|岩尾]]に、二男宮内少輔貞家は[[根井行親|根々井]]に、三男兵部少輔信直は[[耳取城|耳取]]に、四男伊賀守[[大井光忠|光忠]]は[[小諸城|小諸]]に、五男大和守[[大井信広|信広]]は[[武石城|武石]]に各々居住した。