「ウィリアム・ローヴェア」の版間の差分

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== 経歴 ==
ローヴェアは学部時代、[[連続体力学]]を、[[クリフォード・トルーズデル]]([[:en:Clifford_Truesdell |Clifford Truesdell]]より学ぶ。彼はトルーズデルの[[関数解析学]]の講義より[[圏論]]を学び、特に[[ジョン・L・ケリー]][[:en:John_L._Kelley |John L. Kelly]]の教科書General Topologyの246ページにてケリーが局所および大域的な問題に対する古いアイデアに比較して"まるで銀河のように強力な理論”と提唱している[[関手]]的手法に影響を受けた。ローヴェアはトルーズデルとワルター・ノル[[:en:n:Walter_Noll]]の物理的アイデアによるシンプルかつ厳密である前途有望な枠組みを見出した。トルーズデルは1960年に、ローヴェアがコロンビア大学にて圏論の創始者である[[サミュエル・アイレンベルグ]]のもとで[[純粋数学]]を学びたいという希望をサポートした。
 
[[博士課程]]を終了する前に、ローヴェアは[[カリフォルニア大学バークレー校|バークレー]]にて非正規の学生として1年間を費やし、[[モデル理論]]と[[集合論]]を[[アルフレト・タルスキ]]と[[デイナ・スコット]]から学んだ。彼が初めて教鞭をとったは[[リード大学]]であり、[[数学基礎論|基礎論]]的見地から[[抽象代数学]]および[[微分積分学]]を教育しようと工夫した。彼は現行の[[公理的集合論]]は学部生には難しすぎると思い、集合の写像の構成のための最初の公理を開発した。彼が開発したこの公理は、初等[[トポス]]理論において重要な概念(一定の場合)となり、のちにElementary Theory of the Category of Sets(1964)に記載されることとなる。