「青山道夫」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
2行目:
 
== 経歴 ==
[[宮城県]]出身。[[1927年]]に[[東京帝国大学]]法学部]]卒。[[大倉高等商業学校]](現[[東京経済大学]])教授、1944年[[九州帝国大学]]教授。1963年に九州大学を定年退官は、[[西南学院大学]]教授、東京経済大学教授を歴任。[[1972年]]には[[弁護士]]登録を行った。[[ブロニスワフ・マリノフスキ|マリノフスキー]]、[[ルイス・ヘンリー・モルガン|モルガン]]らの文化人類学的研究を翻訳。戦後の家族法の改正にあたり、民主的な改革を主張した。
 
1978年7月9日、[[肺炎]]のため[[東京都]][[武蔵野市]]の武蔵野総合病院にて死去。76歳<ref>訃報欄 青山道夫氏(あおやま・みちお=九大名誉教授)『朝日新聞』1978年(昭和53年)7月11日朝刊、13版、23面</ref>。