「野田のさぎ山」の版間の差分

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[[ファイル:Sagiyama no kinarabiniuta 1855 1.jpg|thumb|280px|『鷺山之記并歌』(さぎやまの記并歌)<br/>[[安政]]2年([[1855年]])]]
野田山という[[台地]]地形には、[[サギ科|サギ類]]が多く生息していた。この地にサギが集まり始めたのは、[[享保]]年間([[1716年]] - [[1735年]])の見沼干拓事業によって[[水田]]が出現したころとされる<ref name="緑区">{{Cite web |date= |url=http://www.city.saitama.jp/midori/001/002/005/004/p010248_d/fil/midori3-2.pdf |title=幻のサギ山 |format=PDF |publisher=さいたま市[[緑区 (さいたま市)|緑区]] |accessdate=2015-12-14}}
</ref><ref name="浮間">{{Cite web |date= |url=http://www.ukima.info/feature/onarikaido/sagiyama.htm |title=さぎ山記念公園 |publisher=浮間わいわいネット |accessdate=2015-12-14}}</ref>。当時の営巣地は、「野田のさぎ山」に指定された場所から約700メートル北の[[染谷 (さいたま市)#歴史|新染谷村]](現・上野田字[[上野田 (さいたま市)#歴史|宝永]])に所在の<ref name="小杉98">[[#Kosugi|小杉 (1980)]]、98頁</ref>鷺大尽と呼ばれた守富家の屋敷林にあった。[[文化 (元号)|文化]]4年([[1807年]])に寺山村(現・さいたま市緑区[[寺山 (さいたま市)|寺山]])に営巣地が移ると、その後、代山村(現・さいたま市緑区[[代山]]〈だいやま〉)や上野田村まで拡大し<ref name="小杉106-108">[[#Kosugi|小杉 (1980)]]、106-108頁</ref>、サギおよび[[カワウ]]が、[[元治]]年間([[1864年|1864]]-[[1865年]])のころまで渡来したといわれる<ref name="清棲3_915">[[#Kiyosu|清棲 (1978)]]、915頁</ref>。
 
江戸時代には「鷺藪(さぎやぶ)」とも呼ばれた<ref name="小杉10・103-106">[[#Kosugi|小杉 (1980)]]、10・103-105頁</ref>さぎ山一帯は、 [[紀州徳川家]]の[[鷹場]](たかば)であり、「紀伊殿囲鷺(きいどのかこいさぎ)」として特別に保護され<ref name="小杉99-100">[[#Kosugi|小杉 (1980)]]、99-100頁</ref>、将軍家の上覧も2度ほどあった<ref name="緑区"/><ref name="浮間"/>。この地は、歴代将軍の[[日光社参|日光参拝]]の経路([[日光御成街道]])にもあたり<ref name="小杉102">[[#Kosugi|小杉 (1980)]]、102頁</ref>、[[安永 (元号)|安永]] 5年([[1776年]])、[[徳川家治]]は参拝の途上にサギの群生する様子を見てほめたたえ<ref name="清棲3_915"/>、その後、「鳥見役」を置いて厳重に保護と監視をしていた<ref name="天然記念物事典30-31">[[#Bunkatyou|『天然記念物事典』 (1971)]]、30-31頁。</ref>。当時の鳥見役であった会田家の古文書によると、安永6年([[1777年]])5月に、[[マナヅル]]が近隣の[[原市沼]]周辺に営巣したとの記録がある<ref name="小杉104">[[#Kosugi|小杉 (1980)]]、104頁</ref>。また、[[天保]]14年([[1843年]])、[[徳川家慶]]が日光参拝の際にもさぎ山を見ている<ref name="小杉188">[[#Kosugi|小杉 (1980)]]、188頁</ref>。ここを題材とした[[安政]]2年([[1855年]])の代山に伝わる[[絵巻物]]『鷺山之記并歌』には<ref name="小杉107">[[#Kosugi|小杉 (1980)]]、107頁</ref>、サギとともに現在ではまれな[[クロトキ]]も描かれており<ref name="小杉117-119">[[#Kosugi|小杉 (1980)]]、117-119頁</ref>、 [[1868年]]以前にはサギと混生していたといわれる<ref name="清棲3_905・915">[[#Kiyosu|清棲 (1978)]]、905・915頁</ref>。