「阿Q正伝」の版間の差分

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== 背景 ==
魯迅は日本に留学し、仙台医学専門学校(現[[東北大学]]医学部)で解剖学を学んでいた。ある日、教室で[[日露戦争]]の記録映画が上映される。その中にロシア側のスパイ容疑で日本軍に捕まった中国人が銃殺されるシーンがあり、刑場の周囲で同胞の銃殺に喝采する中国民の無自覚な姿に、魯迅は衝撃を受けた。この体験や心境の変化は、魯迅の小説『藤野先生』に描写されている。{{Quotation|あのことがあって以来、私は、医学などは肝要でない、と考えるようになった。愚弱な国民は、たとい体格がよく、どんなに頑強であっても、せいぜいくだらぬ見せしめの材料と、その見物人となるだけだ。病気したり死んだりする人間がたとい多かろうと、そんなことは不幸とまではいえぬのだ。むしろわれわれの最初に果たすべき任務は、かれらの精神を改造することだ。そして、精神の改造に役立つものといえば、当時の私の考えでは、むろん文芸が第一だった。そこで文芸運動をおこす気になった。(竹内好訳『阿Q正伝・狂人日記』(1955年)岩波文庫)}}
 
これを契機に魯迅の関心は医学から中国の社会改革と革命に転じ、文筆を通じ中国人の精神を啓発する道に入った。魯迅は本作で、無知蒙昧な愚民の典型である架空の一庶民を主人公にし、権威には無抵抗な一方で自分より弱い者はいじめ、現実の惨めさを口先で糊塗し思考で逆転させる彼の卑屈で滑稽な人物像を描き出し、中国社会の最大の病理であった、の無知と無自覚を痛烈に告発した。物語の最後で、まったくの無実の罪で処刑される阿Q、その死にざまの見栄えのなさに不平を述べる観衆たちの記述は、同胞の死刑に喝采する中国人同胞の姿にショックを受けた作者の体験を反映する。
 
== 阿Qの意味 ==