「三湖伝説」の版間の差分
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三湖伝説第二類の縁起では八郎太郎の先祖が[[秋田県]][[大館市]]独鈷の大日堂や[[鹿角市]]小豆沢の[[大日霊貴神社|大日堂]]の別当であるとしている。『十和田由来記』では、八郎太郎の父の出身地は赤子とされ「とっこ」とルビがふられている。『十和田記』ではそれが赤谷とされている。ルビはないものの北沼が近くにあると記されていることから、それが[[大館市]]独鈷の大日堂であることが分かる。十和田信仰の宗派は[[熊野権現]]の[[天台宗]]であるが、秋田藩内にある独鈷の大日堂の宗派は現在[[真言宗]]である。
秋田藩はもともと天台宗よりもはるかに真言宗が多かった。それに加えて秋田藩の政策が真言宗派であった。佐竹氏の水戸時代の第15代当主[[佐竹義舜]]の長子である永義は庶腹の子であったので僧籍に入れられた。それを嫌った永義は父義舜の立腹叱責をかえりみず[[今宮神社]]において俗籍にかえり元服し今宮姓を名のる。のち
独鈷大日堂や小豆沢大日堂と[[だんぶり長者]]伝説と通じて縁が深い岩手県[[二戸市]]浄法寺町の[[天台寺]]は[[915年]]の三湖物語との関連が語られている[[十和田火山]]の大噴火によって成立した可能性が語られている<ref>『十和田湖が語る古代北奥の謎』、校倉書房、「古代北奥への仏教浸透について」、大矢邦宣、p.56-57、[[2006年]]</ref>。また、十和田火山の大噴火が原因となった[[米代川]]の火山灰による白い濁りは、民話ではその[[だんぶり長者]]伝説と結び付けられている。
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