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東京都港湾局の機関車について
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東京においては、長らく対外貿易を[[横浜港]]に依存した体制が続いており、東京港の本格的な整備は遅れていた。これは、東京港が整備されて対外貿易を開始すると横浜港が衰退するとして、横浜港関係者から強い反対運動が繰り広げられていたこと、軍関係者が防衛上の理由から帝都への外国からの船の乗り入れを嫌ったことなどが理由として挙げられる<ref name = "rp808">「東京港貨物線概史」</ref>。このため東京においては河川水運や荷車等を除けば、輸送をもっぱら[[鉄道]]に頼る時代が続いた<ref name = "tp_1_286">『東京港史 第1巻 各論編』 p.286</ref>。
 
しかし[[1923年]](大正12年)に[[関東大震災]]が発生して陸上の交通網が壊滅すると、大規模な港を持たない東京では救援活動に大きな苦労をすることになった。これをきっかけに東京港の本格的な整備が開始されることになり、まず[[芝浦]]地区に[[東京港#日の出埠頭|日の出埠頭]]が建設され[[1926年]](大正15年)3月に供用開始された。さらに[[1932年]](昭和7年)に[[芝浦埠頭]]、[[1933年]](昭和8年)に[[竹芝埠頭]]と順次整備が進められていった><ref group="注釈">「汐留駅と東京の臨港鉄道 -歴史と現状」では日の出埠頭の供用開始を1926年2月、[[竹芝桟橋]]の完成を[[1934年]]としている</ref><ref name = "rp808" /。
 
この日の出埠頭への貨物を輸送するために、[[東京市]]は[[鉄道省]](国有鉄道)に対して臨港鉄道の敷設を要請することになり、1926年(大正15年)8月に建設費用と用地を東京市が負担することで整備が行われることが決定された<ref name = "tp_1_287">『東京港史 第1巻 各論編』 p.287</ref>。この全長2.8 [[キロメートル|km]]の「芝浦臨港線」は[[1928年]](昭和3年)10月に着工し、工費27万円あまりを費やして[[1930年]](昭和5年)7月に完成し、8月1日に日の出埠頭付近に貨物駅の[[芝浦駅]]が開業した<ref name = "tp_1_287" /><ref>『日本国有鉄道百年史』9巻 p.252</ref>。この路線は国鉄の営業線の扱いで、東海道本線の貨物支線とされた。また、当初は[[汐留駅 (国鉄)|汐留駅]]から一旦[[浜松町駅]]付近に設置された引き上げ線まで進んで、そこから折り返す形で芝浦駅に向かう配線とされていた。[[首都高速道路]]や[[東海道新幹線]]の建設に伴う汐留駅改良工事を受けて、1962年(昭和37年)7月15日から汐留駅から芝浦駅へ直接入れるように[[線形 (路線)|線形]]が修正された。後に[[ゆりかもめ東京臨海新交通臨海線|ゆりかもめ]]が1962年以降の臨港線経路にほぼ沿って建設されている<ref name = "rp808" />。