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'''アルテ・ポーヴェラ'''((イタリア語:'''Arte Povera'''、和訳『貧しい芸術』)は、[[イタリア人]]の[[美術評論家]]、[[キュレーター]]である[[ジェルマーノ・チェラント]]により[[1967年]]に命名された、[[1960年代]]後半の[[イタリア]]の先端的な美術運動である。チェラントは、[[トリノ]]、[[ミラノ]]、[[ジェノヴァ]]、[[ローマ]]などで、当時前衛的な手法で活動していた若く才能あるイタリアのアーティストたちを集め、イタリア内外でアルテ・ポーヴェラの展覧会を催し、この概念の普及につとめた。
 
その特徴を大まかにいえば、絵の具や[[キャンバス]]、粘土や[[ブロンズ]]などの、伝統的な美術の画材を放棄して、生の工業的な素材や自然の石や木などを、あまり加工せずに用いる傾向がみられる。こうした傾向は、同時代のアメリカ合衆国の[[カール・アンドレ]]や、[[ロバート・モリス]]などの[[ミニマリズム|ミニマルアート]]や、ポスト・ミニマルのアーティストたち、[[ブルース・ナウマン]]、[[エヴァ・ヘス]]、さらには[[ヨゼフ・ボイス]]などとも共通する当時の先端的アートの特徴でもあった。
 
また、[[ジュリオ・パオリーニ]][[アリギエロ・ボエッティ]]のように[[コンセプチュアル・アート]]として評価できる
作品を残したアーティストも、この運動に加わっていた。アルテ・ポーヴェラより前の世代のアーティストで、
[[イヴ・クライン]]の影響を受け、独自の概念芸術を展開した[[ピエロ・マンゾーニ]]は、アルテ・ポーヴェラのアーティストたちに影響を与えた。