「田村村資」の版間の差分

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| 藩 = [[陸奥国|陸奥]][[仙台藩]]→陸奥[[一関藩]]主
| 氏族 = [[白石氏#登米伊達家|登米伊達氏]]→[[田村氏]]
| 父母 = [[父]]:[[伊達村良]]、[[母]]:加藤氏<br>[[養父]]:''[[田村村隆]]''
| 兄弟 = '''村資'''、羊之助、達、藤、純之助、<br>[[伊達村幸]]、茂之助、[[小原武親]]、勝之助、康、[[伊達宗充]]、祐
| 妻 = '''[[正室]]:[[脇坂安親]]娘・'''阿琴'''
| 子 = 政五郎、哲也、おかね、[[伊達斉義]]、[[田村顕彰|顕彰]]、常ら<br>[[養子]]:'''''[[田村宗顕 (一関藩主)|宗顕]]'''''
| 特記事項 =
}}
'''田村 村資'''(たむら むらすけ)は、[[江戸時代]]中期の[[大名]]。[[陸奥国]][[一関藩]]の第5代[[藩主]]。[[官位]]は[[従五位|従五位下]]・[[京職|左京大夫]]。
 
'''田村 村資'''(たむら むらすけ)は、[[江戸時代]]中期の[[大名]]。[[陸奥国]][[一関藩]]5代藩主。[[官位]]は[[従五位|従五位下]]・[[京職|左京大夫]]。
 
== 生涯 ==
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治世中は洪水多発や幕府勤役による負担増に悩まされ、寛政9年([[1797年]])に仙台藩内で発生した大規模な[[一揆]](寛政の大一揆)が一関藩領にも波及すると、一関城下への進入を阻止するために一揆勢の要求を大幅に受け入れた。
 
寛政10年([[1798年]])に家督を婿養子・[[田村宗顕 (一関藩主)|宗顕]]に譲って[[隠居]]する。
 
[[文化 (元号)|文化]]5年([[1808年]])10月27日死去。享年46。実子は一関藩主とならなかったが、[[伊達斉義]]は仙台藩主、[[田村顕彰|顕彰]]は[[田安徳川家]][[家老]]となっている。