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'''松尾 尊兊'''(まつお たかよし、[[1929年]](昭和4年) - [[2014年]](平成26年)[[12月14日]])は、[[日本]]の[[歴史学者]](日本近現代史専攻)。[[京都大学]][[名誉教授]]。[[鳥取市]]生まれ。[[大正デモクラシー]]研究をライフワークとした
 
== 来歴 ==
旧制の鳥取第一中学校([[鳥取県立鳥取西高等学校]]の前身)・[[松江高等学校 (旧制)|松江高等学校]]([[島根大学]]の前身)を経て、[[1953年]](昭和28年)9月に当時[[旧制大学]]だった[[京都大学大学院文学研究科・文学部|京都大学文学部]]を卒業した<ref>入学と卒業いずれも旧制では最後の京都大学の学生であった。</ref>。京大では国史学の[[北山茂夫]]に師事し、また同郷・同窓(鳥取一中)の先輩である最晩年の[[佐々木惣一]]の謦咳に接した。卒業後、同年4月[[京都大学人文科学研究所]]助手となり、[[1970年]](昭和28年)5月より京都大学人文科学研究所[[助教授]]、[[1971年]](昭和46年)1月に京都大学文学部史学科助教授(現代史学講座担当)、[[1981年]](昭和56年)4月に京都大学[[文学部]][[史学科]][[教授]](現代史学講座担当)に就いた。この間、1968年に[[ハーバード燕京研究所]]フェローとして滞米<ref>[https://doi.org/10.14989/264280 松尾尊兊と大正デモクラシー研究]福家崇洋(京都大学人文科学研究所)『人文学報』第117号 (2021年 5 月)</ref>。大正期の地方民衆運動史や[[吉野作造]]・[[石橋湛山]]の植民地論など、[[戦後民主主義]]を擁護する形での、[[大正デモクラシー|大正デモクラシー史]]の実証的研究に先駆的業績を残した。
 
[[1993年]](平成5年)3月に京都大学を定年退官して、4月京都大学[[名誉教授]]および[[京都橘女子大学]]教授を務めた。郷土の同窓(旧制鳥取第一中学校)の政治家[[古井喜実]]の著作・評伝の編さんも行っている。晩年は回想を交えた戦後デモクラシー研究著作を公刊した。
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[[Category:1929年生]]
[[Category:2014年没]]
[[Category:ハーバード燕京研究所の人物]]