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'''トカ・テムル'''(Tūqā Tīmūr/Tūqāy-Tīmūr/Tūqāy Tīmūr、? - ?)は、[[ジョチ・ウルス]]の王族。[[チンギス・カン|チンギス・ハーン]]の長男[[ジョチ]]の十三男。
 
== 略歴 ==
ジョチが没して兄の[[バトゥ]]が一家の当主となった後、トカ・テムルは他の年少の兄弟とともに長兄の[[オルダー|オルダ]]が支配する左翼[[ウルス]](オルダ・ウルス)にとどまった<ref name="akasaka2003-8">赤坂「トカ=テムル裔の系譜情報の復元」『中央ユーラシアにおける民族文化と歴史像』、8頁</ref>。トカ・テムルはジョチがもうけた年少の子供の中で唯一[[オゴデイ]]と[[グユク]]の即位式に参加し、[[モンケ]]を[[ハン|大ハーカアン]]に選出する[[クリルタイ]]にも出席している<ref name="akasaka2003-40">赤坂「トカ=テムル裔の系譜情報の復元」『中央ユーラシアにおける民族文化と歴史像』、40頁</ref>。バトゥを総司令官とするヨーロッパ遠征には参加せず、本国に残っている<ref name="akasaka2003-40"/>。トカ・テムルが他に目立った行動を起こした記録は同時代の史料には見られない<ref name="akasaka2003-40"/>。
 
[[ベルディ・ベク]]・ハンの在位中([[1357年]] - [[1359年]])に左翼ウルスはカラ・キシ(非チンギス裔)のテンギス・ブカに支配されていたが、1360年代にトカ・テムル家の王子がテンギス・ブカを殺害し、トカ・テムル家の人間が左翼ウルスのハン位に就くようになる<ref>川口「キプチャク草原とロシア」『中央ユーラシアの統合』、287-288頁</ref>。左翼ウルスの支配者の一人である[[オロス]]の子孫が樹立した政権はジョチ・ウルスの後継国家の中で最も広範囲・長期にわたって繁栄した<ref name="akasaka2003-26">赤坂「トカ=テムル裔の系譜情報の復元」『中央ユーラシアにおける民族文化と歴史像』、26頁</ref>。