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== 日本のハワイアン ==
日本にハワイアンスタイルの音楽が伝播、紹介された起源は不明で、日本からハワイへ[[移民]]や出稼ぎに交易が盛んになった[[明治]]中期以降では、[[1933年]](昭和8年)[[ホノルル]]出身日系2世の[[バッキー白片]]が来日。[[1939年]](昭和14年)日本青年館で第1回アロハ・ハワイアンズ発表会を開催し、その後バッキー白片は日本に[[帰化]]し[[バッキー白片とアロハ・ハワイアンズ]]を結成、ハワイアン音楽の普及に努めている。敗戦後、アメリカ兵が持ち込んだハワイアンを日本人ミュージシャンも演奏するようになった。戦時下に[[敵性語|敵性音楽]]として弾圧規制された反動からハワイアン音楽同様にジャズや続く[[カントリー・ミュージック|カントリー]]などを扱う多くのミュージシャンやバンドが登場している。日本の代表的なハワイアン歌手、ミュージシャンとしては、バッキー白片、[[ポス宮崎]]、[[大橋節夫]]、[[和田弘とマヒナスターズ]]、[[ダニー飯田とパラダイス・キング]]、[[ベティ稲田]]、[[エセル中田]]、[[南かおる]]、[[浜れい子]]、[[日野てる子]]らがいた<ref>[http://www9.plala.or.jp/matchnet/old-band.html 昔のハワイアン]</ref>。現在、日本で活躍しているミュージシャンは女性歌手のハワイアンシンガー [https://www.kaoluleolani.com/ Kaolu]
 
== 脚注 ==