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====ルネサンス====
[[File:Michelangelo's Pieta 5450 cropncleaned edit.jpg|thumb|[[ミケランジェロ]]作『[[ピエタ (ミケランジェロ)|ピエタ]]』1499年]]
[[File:Rome-Basilique San Pietro in Vincoli-Moise MichelAnge.jpg|thumb|ミケランジェロ作[[ユリウス2世の霊廟]]、1545年頃。左には[[ラケル]]と[[レア (旧約聖書)|レア]]の像が、右には彼の『[[モーセ#モーセと芸術作品|モーセ]]』像がある]]
 
正式なルネサンス彫刻は、1403年の[[サン・ジョヴァンニ洗礼堂]]門扉の有名な競争から始まったとされることが多い(この優勝者[[ロレンツォ・ギベルティ]]と[[フィリッポ・ブルネレスキ]]の提出した試作品が現存している)。ギベルティの扉は今も敷地内にあるが、別の入口にある彼の二番目の扉『天国の門』に隠されていることは疑いようもない。こちらは1425年から1452年にかけて彼の請け負ったもので、扉は広範な背景を可能にする様々な深さのレリーフを備えた、輝かしい自信に満ちた古典的構成である<ref>Olson, 41-46, 62-63.</ref>。その間にギベルティ初期の助手[[ドナテッロ]]が大理石(1408-09)と青銅(1440年代)の[[ダヴィデ像 (ドナテッロ)|ダヴィデ像]]、[[ガッタメラータ将軍騎馬像]]、ほかレリーフを含む精巧な彫像で頭角を現した<ref>Olson, 45-52, and see index.</ref>。後世の第一人者が[[アンドレア・デル・ヴェロッキオ]]で、彼はヴェネツィアにある[[バルトロメオ・コッレオーニ騎馬像]]で最もよく知られている<ref>Olson, 114-18, 149-50.</ref>。彼の弟子[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]はミラノのために[[グラン・カヴァッロ]]という巨大な馬の彫刻を設計したが、これは7.3mの粘土模型の作成に成功しただけで1499年にフランスの射手によって破壊され、また彼の他の野心的な彫刻計画は完成することがなかった<ref>Olson, 149-50.</ref>。