「江戸城」の版間の差分

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m 『江戸築城と伊豆石』より伊豆半島の石材を利用して石垣が作られた記述を追加。
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最後に[[万治]]3年([[1660年]])より神田川御茶ノ水の拡幅工事が行なわれ、一連の天下普請は終了する。
 
徳川江戸城の築城においては、町づくりを含め、伊豆の石材([[伊豆石]])は欠かせないものであった。壮大な石垣用の石材は、ほとんどすべてを[[相模国|相模]]西部から伊豆半島沿岸の火山地帯で調達し、海上を船舶輸送して築いたものである<ref>{{Cite book|和書|title=江戸築城と伊豆石|date=2015年5月1日|publisher=吉川弘文館|page=33|author=杉山宏生|chapter=西相模・東伊豆の安山岩石丁場}}</ref>。
 
本丸・二ノ丸・三ノ丸に加え、西ノ丸・西ノ丸下・吹上・北ノ丸の周囲16kmにおよぶ区画を本城とし、現在の千代田区と[[港区 (東京都)|港区]]・[[新宿区]]の境に一部が残る外堀と、[[駿河台]]を掘削して造った[[神田川 (東京都)|神田川]]とを[[総構え]]とする大城郭に発展した。その地積は本丸は10万5000余町歩、西ノ丸は8万1000町歩、吹上御苑は10万3000余町歩、内濠の周囲は40町、外濠の周囲は73町となり、城上に20基の櫓、5重の天守を設けた。