「淳祐 (僧)」の版間の差分

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[[般若寺]]の[[観賢]]に師事して[[出家]]・受戒し、[[925年]]([[延長 (元号)|延長]]3年)に伝法灌頂を受けた。真言宗小野流の法を継ぎ、その後[[石山寺]]普賢院に隠棲した。普賢院では多くの書物を著し、真言密教の事相の発展に寄与した。
 
[[延喜]]21年([[921年]])11月、師[[観賢]]が[[醍醐天皇]]の勅命により[[高野山]]奥の院御廟を訪れたとき、共に御廟内に入り[[弘法大師]]の膝に触れたといわれる。その際、妙香の薫りが手に移り、一生消えることがなかった。またそれにより、淳祐が書写した経典にも同様の薫りが移った。これを「薫の聖教(かおりのしょうぎょう)」という。
 
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